小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1430 大空に輝く初日に寄せて 届いた「古里はいま」の詞

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 大空のせましと匂う初日かな(田川鳳朗)

 6時半前に起き、近くの公園のラジオ体操会場に行くと参加者は10人余と普段の3分の1程度しかいない。東の空には金星が西の空には半月と木星が輝いている。体操が終わって、散歩コースの調整池に向かう。7時。次第に東の空が茜色に染まり始め、太陽が姿を現した。鳳朗の句のような初日の出の光景だ。

 俳句歳時記(角川学芸出版)には、初日の出は「年が改まった感懐が伴い、神々しさがある」という説明が載っており、信仰心の薄い人でもこの日ばかりは、太陽に向かって手を合わせる。初詣はいつもの寺に行く。

 この後、本尊の薬師如来を開帳している別の寺まで足を伸ばした。真言宗豊山派の長徳寺といい、2015年から3が日のみ秘仏薬師如来坐像を開帳しているのだ。 本堂に入ると、奥の厨子(ずし)内に黒く変色した薬師如来の姿が見えた。昨年秋に見た福島県会津勝常寺の薬師三尊(国宝)の中尊より少し高い。

 この寺の薬師如来は、高さは147・2センチ、かやの木の一木造りで、13世紀前半(鎌倉時代)の作といわれ、国の重文あるいは国宝に指定されているものより新しく、千葉県の指定文化財になっている。

 薬師如来は病気平癒の願いを受け止める仏であり、悩みや不安も治してくれる法薬が入っている薬つぼを左手に持ち、右手の薬指で塗って癒してくれる(同寺だより)のだという。あと3カ月少しで東日本大震災から5年になる。

 おびただしい瓦礫は撤去されたが、被災地の復興は遅々として進まず、悩み、不安を抱えて日々を送っている人は少なくない。薬師如来はこんな日本の現状をどう見るのか、聞いてみたい思いにかられた。

 知人の中国残留孤児問題ボランティアの柏実さんから便りが届いた。大震災をきっかけに30年間やめていた歌謡曲の作詞活動を再開し、被災地を回り震災関連の歌謡曲として18曲分を書き上げたというのだ。そのうちの1曲に「古里はいま」という以下のような詞がある。(柏さんのペンネームは海原 光)

 1、親の位牌と 家族を連れて   

   逃げたあの日は 吹雪の夜明け    

   帰りたい…… 帰りたいけど 帰れない    

   人が住めない あゝふるさとは。

 2、目には見えない 死の灰セシウム)浴びて   

   息もできない 20キロ以内    

   忘れたい…… 忘れたいけど 忘れない    

   水素・爆破の あゝ白煙り。  

 3、落ちる涙に 切なく浮かぶ   

   村の祭りや 吾家の灯火(あかり)   

   帰りたい…… 帰りたいけど 帰れない   

   夢で寄り添う あゝふるさとに。

 

 少年時代に旧満州(現在の中国東北部)で多くの苦渋を経験した柏さんの詞は、東日本大震災被災者の心に寄り添っていると思った。 ことしは申年。どんな1年になるのだろう。

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