小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1599 ボージョレ・ヌーボ解禁日に 角界の騒動と酒の破壊力

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 大相撲の横綱日馬富士が、酒の席で同じモンゴル出身の幕内力士貴ノ岩に暴力を振るったことが角界を揺るがす大問題になっている。日馬富士の引退という事態に発展するという指摘もある。酒は百薬の長という半面、人の心を狂わす力もある。このニュースを見ながら、酒の功罪を考えてしまうのだ。

 手元に一冊の本がある。コリン・ウィルソン著、田村隆一訳『わが酒の讃歌(うた)』(徳間書店)だ。コリン・ウィルソンは、イギリスの作家・評論家で、田村は詩人である。ワインを飲む楽しみを様々な角度から論じたこの本を読むと、ワインを飲みたくなる。そういえば、きょうはボージョレ・ヌーボ(フランス・ブルゴーニュ地方ボージョレでその年に収穫されたブドウで仕込んだワイン)の解禁日である。  

 この本のプロローグで、田村は以下のような言葉を紹介している。以前のブログでも書いたが、18世紀の知識人、ヘンリー・オールドリッチの言葉である。  余のつらつら思うところにあやまちなくなくば、酒を飲むのに5つの理由あり。  良酒あらば飲むべし  友来らば飲むべし  のど、渇きたらば飲むべし  もしくは、渇くおそれあらば飲むべし  もしくは、いかなる理由ありても飲むべし。  

 日馬富士の暴力事件は、モンゴル出身の力士たちの飲み会の席で起きたといわれる。横綱白鵬鶴竜も同席していたというから、上の5つのうちどこに当てはめていいのかよく分からない。5番目の「いかなる理由ありても……」というところか。「飲みニケーション」という造語がある。飲むという言葉とコミュニケーションを合成したものだ。職場の意思疎通のために先輩や上司が後輩、新人を飲み会に誘い、話をするのだが、説教の場となることが多く、若い人は敬遠しがちといわれる。モンゴル出身力士たちの飲み会も、この飲みニケーションの場のような雰囲気になったのだろうか。  

 酔ったうえでの過ちは、古代からあった。コリン・ウィルソンもこの本の中で「古代ギリシャ人は、アルコールの化学的成分やその神経組織に対する影響については無知だったが、人間の意識にあたえる効果については不可思議な何ものかがあると認めていた。

 何杯かのワインによって、“途方もない”喜悦に体をほてらせ、平凡さ、偶然、必滅とかを感じなくなるプルーストばりの感覚を得ることができる。さらに何杯かのグラスが、人格をある奇怪な内的境界の外へ押しやり、破壊的な力のなすがままにさせるのだ。これらの力をギリシャ人は、復讐者ディオニソスに象徴した」と書き、アルコールが人を凶暴にさせる例を示している。酒、恐るべしである。

935 酒を飲む5つの理由 コリン・ウィルソンの「わが酒の讃歌」より