小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1591 キノコのある生活 山形から季節の便り

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 山形に住む友人から、季節の便りが届いた。この季節といえば、どんなことをしているのだろうと思っていたが、そう、山歩きが趣味の友人は、キノコ採りに明け暮れているのである。  

 友人が採っているのは海の紅色サンゴと似ているホウキダケである。かなりおいしいキノコで、しかも今年は当たり年というから、山歩きは楽しそうだ。昨今、山に行くと、熊が出没するという話が珍しくない。町の中まで熊が出てきたというニュースもある。友人が住む地域でも、そんなうわさが出ているという。  

 しかし、友人は熊よけのスプレーを持って、山に入っている。うわさによって、他の人はいないから、周辺の山は友人の独り占め状態なのだ。しかも、キノコに詳しくない人たちは、ホウキダケは毒キノコのハナホウキダケだと思い込んで採らないから、採りたい放題なのだという。種類が多いが、毎年同じ場所に出る。山から菌を持ち帰って研究をしている人もいるそうだが、事業化はできていない。それが自然界なのかもしれない。  

 友人の表現によると、このキノコは「若いときは紅色、だんだん黄色から淡黄色へ、やがて白っぽくなり、ねずみ色の熟女色です。胞子をまき散らして茶色になると今度は次年度まで土の中で菌床を増やします。たいへん面白いキノコです」とのことだ。崩れやすいため、収穫直後に茹でてからごみを取り除き、茄子との油炒めで食べるのが一番だそうだ。  

 夢野久作幻想文学作家)の『きのこ会議』という短編(本当に短い)がある。キノコを擬人化した作品で、以下のようなストーリーだ。

《冬が近づいたある夜、キノコたちが別れの宴に集まった。ハツタケの司会でみんなが演説した。シイタケ「人間が重宝して畠をつくってくれるので、子孫が増え、繁栄できる。どんなキノコでも畑をつくってくれるようになってほしい」。マツタケ「私の仕事は、傘を広げて種子を撒き散らして子孫を殖やすこと、そして人間に食べられることだが、人間は傘を開かないうちに持って行ってしまう。シイタケさんのような畠も作ってくれない。これだと子孫を根絶やしにされてしまう」。マツタケのこの嘆きに他のキノコも同情する。

 これに対し毒キノコの蠅取り茸は「役に立つから人間に採られてしまうのだ。だから、人間の毒になるように勉強しろ」と発言し、キノコの中にはなるほどと思う者もいた。この後、人間が出てきてキノコ狩りを始め、小さいものは残して、食べられるキノコを喜んで採っていく。しかし、毒キノコは、大きいのも小さいのもの根元まで木っ葉みじんに踏みつぶされてしまうのだった》  

 夢野はこの短編で何を言いたかったのだろう。読み方はいろいろあるだろう。8月に名古屋市でバーベキューをやっていた30代の男性が公園に生えていた毒キノコのオオシロカラカサタケを食べて食中毒になったというニュースがあった。『きのこ会議』の毒キノコの「人間の毒になるよう勉強しろ」という演説は、山に入る人たちだけでなく、自分本位の人類全般に対する警告なのかもしれない。

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(写真、いずれも板垣光昭氏撮影)

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