小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

494 カファの赤い実 コーヒー誕生小話

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コーヒーが好きだ。ただ、漫然と飲んでいるのだが、ある日、家族からコーヒーはどうして飲まれるようになったのか知っているのかと聞かれた。 首をひねると、雑誌を差し出され「ここを読んで」といわれた。その雑誌(生活の木・ライフウェアブック)には「コーヒー発祥の地 エチオピア・カファ」という特集があり、「コーヒー誕生ものがたり」という話が載っていた。 ウィキペィデアでコーヒーを調べると、語源の中に「アラビア語でコーヒーを意味するカフワが転訛した。元々ワインを意味したカフワの語が、ワインに似た覚醒作用のあるコーヒーに充てられた。一説にはエチオピアにあったコーヒーの産地カッファがアラビア語に取り入れられたという」という説明があった。 「カファ」と「カッファ」(kaffa)は同一であり、生活の木のコーヒー誕生ものがたりは以下のように記されている。 ある日、アビシニアの山羊飼いのカルディーは、野生の赤い木の実を食べて興奮し、日夜踊りまわる山羊の群れをみつけました。何だろうと、近くの修道僧にその話を伝え、一緒にその実を食べてみると、全身に精気がみなぎってきました。これはすごい!早速、他の僧たちにも伝え、この実をすすめました。修道院のつらい勤行、ミサの睡魔に悩まされていた修道僧たちは、この実のおかげで、元気に修行に励むことが出来ました。 当初はこの話(伝説か)にあるように、コーヒーを発見した遊牧民の山羊飼いと修道僧たちは果実を食べていたが、その後焙煎という方法を経て、飲み物として世界に定着する。約70カ国で生産され、世界で最も飲まれているのがコーヒーだそうだ。(コーヒーと人類のかかわりは紀元前からのようだ。豆を焙煎し、飲料としたのは13世紀ごろからだという) コーヒーの由来の話を読んで、思うのは人間というのは好奇心にあふれた生物だということだ。動植物あらゆるものを食べているが、その食べ物を最初に食べた人間は勇気があったのだろう。 例えば、キノコである。現在では食用と毒キノコは区別されている。しかし、キノコを食べようとして、大昔はかなりの人間が犠牲になったのかもしれない。 魚のフグもそうだ。毒を取り除けばおいしい魚だと発見するまでに犠牲を伴っただろうと思う。先人たちのさまざまな犠牲や苦労、工夫を通じて現在の食文化が成立しているのだ。 実を食べることから始まったコーヒーが、いまや世界中で多くの人たちの生活に入り込んでいる。私も、コーヒーなしの生活は考えられない。これからは、コーヒーの実を初めて食べた遊牧民と修道僧を思いながら、琥珀色の飲み物を味わおうとしよう。(写真は、ことしも実がついたわが家の鉢植えのコーヒーの木)