小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1580 小説『黒い雨』を読みながら 試される政府の本気度

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『黒い雨』(新潮文庫)は、阿鼻叫喚の広島の街の姿を井伏鱒二という冷静な作家によってに描かれた原爆小説だ。この時期、本棚から取り出して再読する人もいるだろう。私もその一人である。この小説は原爆小説とはいえ、正面から政治上の主張はしていない。それが逆に被爆者の悲惨な実情が読む者に伝わってくるのである。  

6日、広島の原爆の日式典に安倍首相が参列して挨拶した。その内容を新聞で読んで、虚しくなった。今年7月、国連で193の加盟国のうち122カ国が賛成して核兵器禁止条約が採択された。だが、この条約には一切触れなかったからだ。「核兵器のない世界の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を絶え間なく積み重ねていくこと。それが、今を生きる私たちの責任」と決まり文句を重ねたが、広島と長崎の市民はどう感じただろうか。  

 日本は核保有国とともにこの条約には反対し、署名・批准はしていない。しかも、核廃絶に向け現実には何の努力もしていないといっていい。安倍首相は記者会見で、核保有国が署名していないから効力がないと、条約は非現実的だと主張した。日本は米国の核の傘に頼るから米国の意向には逆らえないとする考えだ。そんな日本政府の姿勢に対し、広島市長による平和宣言は批判的だった。

「日本政府には『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う』と明記する日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」  

 これは、まさに政府の本気度を疑っているような文言と受け取ることができる。

(追記。9日の長崎の式典で長崎市長は、日本政府に対しこの条約への参加を強く訴えた。それだけでなく、核兵器と非保有国の橋渡し役を務めると明言しながら、条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない、と政府を強く批判した。それが普通の感覚である)

 平和宣言には「『黒い雨降雨地域』を拡大するよう強く求めます」という訴えも織り込まれた。原木投下後の広島の街には放射性物質を含んだ黒い雨が降った。井伏の小説は黒い雨にうたれただけで原爆病に蝕まれてしまった若い姪の姿を被爆者の目で描いた作品だ。同様に、黒い雨のために多くの市民が犠牲となり、いまも原爆病に苦しんでいる。  

 この作品が刊行されたのは1966年で、既に半世紀が過ぎている。原爆投下からは72年になる。しかし、絶対悪であるはずの核兵器を、この世界から廃絶するという道のりは、険しいままである。  

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