小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1705 秋の気配そこまで 野草と月とそばの季節に

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 9月も半ば。これまで味わったことがないような猛暑、酷暑の夏が過ぎて、秋の気配が漂ってきた。コオロギの鳴き声も次第大きくなり、エアコンに頼らず、自然の風の中で生活ができるのはとてもうれしい。そんな一夕、正岡子規が好きな人たちが集まって開いている句会があった。今回で15回を数える。兼題、席題とも秋にふさわしいものだった。集まった人たちは日本の詩情に触れながら、一足早い秋を味わった。(俳句は末尾に掲載)

  兼題は「野分(のわき)・二百十日」「月」「秋薊(あざみ)」の3つ、席題は「新蕎麦・蕎麦の花」である。「野分」は、野の草を吹き分ける風のことで、二百十日・二百二十日前後に吹く暴風や台風を言う。文学的表現といってよく、気象予報士は使うかもしれないが、最近のニュースでこの表現を見たことはない。夏目漱石が「野分」(中編)と「二百十日」(ほぼ会話文だけで構成の短編)という2つの短編を書いていることはよく知られている。このほか以前読んだ山本周五郎の短編集『おごそかな渇き』を思い出した。この中にも「野分」という、下町の娘と武家の家に庶子として生まれた若者の恋を描いた人情物の作品がある。

  自由律俳句の代表的な俳人種田山頭火「白い花」という随筆の冒頭「私は木花よりも草花を愛する。春の花より秋の花が好きだ。西洋種はあまり好かない。野草を愛する」と書いている。「秋薊」も山頭火が愛した秋の野草の一つだろうか。私の散歩コースである調整池の周囲には「オトコエシ」の花が咲く。黄色い花の「オミナエシ」に比べると、自己主張をしていないように見える白っぽい地味な花だが、いかにも秋を感じさせる風情がある。山頭火の随筆の題名となった白い花は花茗荷だった。この花について、山頭火は「なんとその花の清楚なことよ、気高いかをりがあたりにたゞようて、私はしんとする」と、書いている。

 「月」については、人それぞれにさまざまな思い出があるだろう。わが家は以前、ゴールデンレトリーバーという大型犬を飼っていた。11歳の誕生日を迎えて間もなくこの世を去ったのだが、遺骨は庭の一隅に埋めた。その年の中秋の名月の日。私は庭に出て、ガーデンテーブル用の椅子に座って死んでしまった犬を思いながらワインを飲んだ。あれからもう5年が過ぎようとしている。

  そばの花は清楚である。だが、その強烈な独特の匂いを知っているだろうか。堆肥よりも糞に近い匂いである。そば畑に長い時間いると、頭がくらくらするはずだ。そばは受粉しにくいため、強い匂い(蜜)を出して、受粉を手伝ってくれるミツバチなどの虫を誘うのだという。そうして受粉し、実ったそばがおいしいそばになるのだ。かつて福島県喜多方市の高原にある広大なそば畑を見に行ったことがある。一面真っ白な雄大な風景が広がっていた。同時に異臭が鼻をついた。新そばをいただく時、あの風景と匂いを思い出し、複雑な気持ちになる。

  以下は当日の俳句(※は選句が複数以上と二重丸がついた句)

 

「野分、二百十日

野分晴縄文展のひと日かな※

野分あと習志野上空ヘリ四機

田んぼの絵一夜でピカソ野分去る

万物の音取り戻す野分あと※

野分晴泥をかき出す背に絆※

床上げと未だならぬ身や野分晴※

野分過ぎゆきサバランに銀の匙

力走のゴールいずくや野分雲

街路樹の足腰鍛え野分立つ

 「月」

ピアノソナタ心に沁みる月あかり

蔵町に人住む蔵や夜々の月※

月明やうなじ見られてゐるやうな

ひととせを住めば月光さえわがものに※

月明り肴揃えていざ酌まん

夜半の月肩寄せ久し老いふたり

潮騒の白き灯台月昇る※

月白や火星の旅の一里塚

静かさや満月よぎる影一機※

 

「秋薊」

草千里出逢えてうれし秋あざみ

被災地の復興未だ秋薊※

わが寿命(いのち)残り占う秋薊

燃えし日は吾にもありぬ秋薊

キャラバンのひも締め直秋薊

分校の跡地に風と秋薊

秋あざみ父母の匂ひの無き生家※

秋あざみ手漉きの中に淡く咲き

山荘や釘付け窓辺に秋薊

 

「新蕎麦、蕎麦の花、走り蕎麦」

高原の風まで白き蕎麦の花※

新蕎麦の戸隠恋うる頃となり

ホダの木が広らける 空に蕎麦の花

新蕎麦やいつも講釈多い奴※

新蕎麦を待つ黒羽の酒処

戸隠で新蕎麦打って嗅ぐ香り

微酔いが締めに待ってる走り蕎麦※

 

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