小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1573 「鷹乃学」のころ 猛暑を乗り越えて

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 鉢植えのインドソケイが咲いた。別名、プルメニアともいう。中米、西インド諸島が原産といわれる亜熱帯・熱帯の花である。香りがよくハワイのレイにも使われるから、日本人にもなじみの花といえる。このところ猛暑が続いていて人間にはつらい日々だが、植物によっては、この花のように歓迎すべき高温なのだろう。  

 旧暦の七十二候によれば、いまごろ(7月17日~21日ごろ)は「小暑」の中の「末候 鷹乃学(たかわざを)を習う」に当たるそうだ。その意味は「鷹のひなが、飛び方をおぼえるころ。巣立ちし、獲物を捕らえ、一人前になっていく」(白井明大「日本の七十二候を楽しむ」というのである。

「父子鷹」(おやこだか)という言葉がある。江戸城無血開城に導いた勝麟太郎(海舟)とその父小吉の生き方を描いた子母沢寛(しもざわかん)の同名の小説がこの言葉の由来だという。「目標に向かって努力する父と息子のこと」あるいは「共に優れた能力を持つこと親子のこと」を表すそうだ。その意味でも人々に希望をもたらす言葉である。  

 このタイトルを決めたのは子母沢寛なのか編集者なのか分からない。だが、うまいネーミングである。当然ながら「鷹乃学」の言葉を承知していたのだろう。しかし、世の中は正しい飛び方(生き方)を教えず、子どもを甘やかす親ばか、親から悪いところばかりを学ぶ子ばかが多いのも現実だ。世襲が横行する政界はその象徴と言っていい。

「鳶が鷹を生む」とは平凡な親から優れた子どもが生まれることのたとえだが、日本では昔から鷹の方が鳶よりも鳥の世界では序列が上と見ていたことが分かる。だが「鷹は賢けれども烏にわらわるる」(賢人の価値が理解されず、小人からかえってばかにされることのたとえ)ということわざもあるから、この世は複雑だ。猛暑の中でも、凡人が考えることは尽きない。  

 インドソケイ 1860年にドイツ人医師ウィリアム・ヒレブランド(1821–1886)によって最初にハワイに持ち込まれた外来種。その木がホノルル市内のフォスター植物園に現存している。

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