小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1913「 シンプルに生きる日々」 作家のような心境にはなれない

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 この時代をどう見るか。それは世代によっても、これまでの人生経験でも違うかもしれない。コロナ禍が世界各国で日々拡大し、死者が増え続ける事態に人類が試練に直面していると思う。私のこうした焦りは、戦争という修羅場を体験していないのが原因なのだろうか。作家の沢木耕太郎は「みんながこの状況を過度に恐れすぎている」と、「Yahoo!ニュース 特集編集部」のインタビューで答えている。だが、私は沢木のような心境にはなれない。  

 沢木がインタビューに答えたニュースを読んだ。『深夜特急』でノンフィクション作家としてデビューした沢木は、この分野だけでなく小説も手掛け、幅広い活動を続けている。冒頭の言葉の背景には、『深夜特急』の旅があるという。インドという混沌の国を歩いた沢木は、同書で以下のように書いている。

「そのうちに、私にも単なる諦めとは違う妙な度胸がついてきた。天然痘ばかりでなく、コレラやペストといった流行り病がいくら猖獗(しょうけつ)を窮め、たとえ何十万人が死んだとしても、それ以上の数の人間が生まれてくる。そうやって、何千年もの間インドの人々は暮らしてきたのだ。この土地に足を踏み入れた以上、私にしたところで、その何十万人のうちのひとりにならないとも限らない。だがしかし、その時はその病気に『縁』があったと思うべきなのだ」  

 コロナ禍の中で、沢木は仕事中心の生活を送っていると述べた後「語弊があるかもしれませんが、ごくごくシンプルに、大したことではないんじゃないかなと思う」「仮に僕が、この新型ウイルスにかかってしまい、重症化して死ぬことがあったとしても、それは病気に『縁』があっただけだと思うわけです」と、質問に答えている。沢木は「もしかかってしまったとしたら、ちょっと予定より早いかもしれないけど、70代までは生きることができたし、人生を十分楽しませてもらったんだから、何の文句もありません」とも話している。  

 これらの言葉から、自分の道を貫いてきた沢木の自信とある種の諦観を感じる。同時に、論語の「朝(あした)に道(みち)を聞(き)かば夕(ゆう)べに死(し)すとも可(か)なり」(朝、真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない)という言葉を想起するのだ。いまさらじたばたしても仕方がないということだろうが、ちょっと格好が良すぎる印象がある。私といえば、コロナ禍以前とそう変わらず、年相応の日々を送っている。とはいえ、新聞やテレビで毎日コロナ禍のニュースを見ていると、やはりじたばたしてしまう。この暑さの中で、散歩中もマスクも取ることができない。沢木のクールさを見習う必要があるのかもしれない。  

 そんな日常、北海道・帯広の開拓に取り組んだ晩成社をテーマにした乃南アサの『チーム・オベリベリ 』(講談社)を読んだ。過酷な状況の中で生き抜く人々を描いた長編で、今年これまで読んだ本の中でベスト1だと思う。コロナ禍の時代だからこそ、多くの人に読んでほしいと思う作品だ。ちなみに帯広・六花亭製菓の有名な菓子「マルセイバターサンド」は晩成社が商品化したバターの名前が由来だそうだ。  

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