小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1554 詩人が憂えた不満足時代 大岡信逝く

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 5日に亡くなった詩人の大岡信(まこと)は1980年代、パリに住んだことがある。当時、フランスでは大統領選があったが、それを見た大岡は「フランス人の大半は各人各様の正当な理由によって不満足だろう。もっと他にましな選択があるのではないかと思い、結局それが今のところまったく見つからないので、皆たいそう不満足である」という感想を記している。36年も前のことである。このころから世界が混沌とした状況に陥っていることに、詩人は気がついていたのだ。

  大岡はパリに住んでいた1981年、『現代の詩人たち』(上下、青土社)という本を出している。石川啄木から石牟礼道子まで35人の日本の文学者・詩人の評と、現代詩に関する11編の評論から成っている。この中でフランスの事情に触れたあとがきで、大統領選の感想に加え、当時のフランス人が不満足な表情をしていることに筆が及んでいるのだ。

  大岡の住む通りの近くにはポンピドゥーセンター(セーヌ川右岸の国立近代美術館などがある総合文化施設)があって、センター前の広場や通りでは毎日、プロ、アマ両方の芸人が芸をやって小銭を稼いでいたという。自作詩の朗読をしている人もいるが、大岡は「毎日同じ顔ぶれがやっているのに気づくと、わびしい気分になる。でも、これが今のフランスの一つの顔だ。広場に群れている大群集の中に、明るく輝いているなと感嘆させるような顔が、とんと見当たらないのも、私の偏見かどうか知らぬが、さびしい気がする」と、その光景を記している。

  この前段で、現代詩人についての見方として「この世界に何とかして自分の刻印を押すことだけで精いっぱいのようにみえる。他人さまのことなど構っちゃいられない時代らしい。それで満足しているかといえば、皆たいそう不満足である。不幸な時代だ」と述べている。大岡が言う「不満足時代」「不幸な時代」は、20世紀末から21世紀になっても依然続いている。「不満足時代」は世界を右傾化させ、内向き思考が蔓延しているのが現状である。

  大学の文系不要論が幅を利かせ、「本を読むことに何の意味があるのか」という若者の投書が新聞に載っていた。本好きの私は衝撃を受けるばかりであり、大岡の嘆きも聞こえるようだ。

  読書の意味については大岡の『折々のうた』を読めば気づくだろろ。ヘルマン・ヘッセの「書物」という短い詩もその答えを示している。

  

 この世のどんな書物も

 きみに幸せをもたらしてはくれない。

 だが それはきみにひそかに

 きみ自身に立ち返ることを教えてくれる

 

 そこには きみが必要とするすべてがある。

 太陽も 星も 月も。

 なぜなら きみが尋ねた光は

 きみ自身の中に宿っているのだから。

 

 きみがずっと探し求めた叡智は

 いろいろな書物の中で

 今 どの頁からも輝いている。

 なぜなら今 それはきみのものだから。