小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1543 豊穣な音楽の世界 恩田陸著『蜜蜂と遠雷』を読む

画像 ピアノコンクールをテーマにした作品として思い浮かべるのは『チャイコフスキーコンクール ピアニストが聴く現代』(中央公論社)である。ピアニストの中村紘子(21016年7月26日に死去)がこのコンクールの審査員を務めた体験から、コンクールの舞台裏を紹介した作品で、1989(平成元)年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。それから長い歳月を経て、今度は恩田陸が同じようにピアノコンクールをテーマに、音楽の世界を描くフィクションに挑んだ。  

 第156回直木賞を受賞した『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)は、一口でいえば「読み終えるのが惜しくなるような作品」だ。1頁2段組み507頁の長編だが、コンクールのエントリーから第一次予選、第二次予選、第三次予選、本選までの展開が読む者の想像を超えて豊穣であり、倦むことがないのだ。舞台は架空の日本の都市、芳ケ江。この街は3年に1度、国際ピアノコンクールが開催されている浜松がモデルという。  

 登場するピアニストたちは環境も育ちも違う3人の天才が中心だ。養蜂家を父に持ち、フランス各地を転々とし自宅にはピアノがない16歳の日本人少年風間塵。ピアノ界の巨匠の教え子で台風の目のような存在だ。天才少女といわれながら13歳の時に母と死別して挫折を味わった20歳の日本人音大生栄伝亜夜。亜夜と幼い時に一緒にピアノを習った19歳のジュリアード音楽院の学生、マサルC・レヴィ・アナトールは日系三世の母とフランス人の父を持ち、コンクールの本命候補だ。3人のほかに存在感を示すのが楽器店に勤めるサラリーマンの高島明石だ。彼は28歳で妻子があり、最後のコンクールという思いでエントリーする。  

 中村紘子は『チャイコフスキーコンクール』の中で、「欧米には神童モーツァルトの6歳のデビュー以来、まことに根強い『神童出現願望』のようなものがあって、それはそれで伝統化されている感じさえある。そして事実、この『神童出現願望』に促されて、過去においていかに多くの天才少年少女たちが現れ、そして消えていったことだろう。神童たちがその名声の重みに押しつぶされることなく大成した例は、当然のことながら極めてすくない」と書いている。  

 恩田作品の高島明石を除く3人は神童的存在である。だが明石を含めた4人が、コンクールという舞台を踏んで音楽の可能性に挑み続けることを、読者は最後に確信するだろう。風間塵の演奏は、審査員を戸惑わせるほど個性が強い。そして、風間塵はピアノ界の巨匠が送り込んだ「ギフト」なのだという。その理由は後半部で解明される。それは恩田の現在の音楽界に対する願望なのかもしれない。  

 この作品はピアノコンクールがテーマだから、当然のように多くの課題曲が紹介されている。その記述の豊穣さに驚嘆するが、ここでは書かない。音楽が門外漢の私でも十分にその奥の深さを感じることができたのだから、ふだん音楽とは縁のない人たちにもおすすめできる作品といえる。(風間のモデルは、2003年の第5回浜松国際ピアノコンクールで優勝者なしの2位になったポーランドラファウ・ブレハッチとみられる。彼は2005年のショパン国際コンクールで優勝した)  

 2016年の本屋大賞に選ばれた宮下奈都の「羊と鋼の森」(文藝春秋)は、ピアニストを裏で支えるピアノ調律師の青年の物語だった。熊谷達也の『調律師』(文春文庫)も同様に、調律の世界を描いている。日系イギリス人作家、カズオイシグロは『夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる5つの物語』(早川書房、2009年刊)を書いている。文芸作品の分野で、音楽が大きなテーマになることをこれらの作家たちは示したといえるだろう。

507 夜想曲集(音楽と夕暮れをめぐる5つの物語) カズオ・イシグロの世界

1451 「理想の音を求めて」 ピアノ調律師を描いた『羊と鋼の森』『調律師』