小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

799 FMから聞こえる澄明な音楽 忘れていたラジオ

 ふだんラジオは聞かないが、東日本大震災以来枕元にはラジオが置いてある。東京電力計画停電するというので、ラジオが大事だと思ったからだ。電池もあまり減っていないのか問題なく聞こえる。

  震災から間もなく1カ月。FM放送にダイヤルを合わせると、モーツァルトのピアノ協奏曲20番が流れてきた。4月とはいえまだ寒い東北の避難先でも、ラジオに耳を傾けている人がいるに違いない。モーツァルトの名曲は、傷心を癒すことができるのだろうかと思う。

  解説によると、この曲はモーツァルトの初めての短調の協奏曲だ。旋律はどちらかといえば暗い。そして展開は劇的で、メリハリの利いた作品だ。歴史的な巨大地震津波、現代エネルギーの一翼を担う原発事故という未曽有の災害に遭遇したわが日本の現在と将来を考えながら、ハンガリー生まれのピアニスト・アンドラーシュ・シフのピアノとベルリンフィルの音楽に聞き入る。沈んでいた気持ちが少し和らぐ思いがした。

  テレビが出現するまでは、情報伝達の中心は新聞とラジオだった。その後、テレビの出現、さらにインターネット、携帯電話の普及でラジオは家庭の中でも片隅に追いやられた。だが、ラジオは災害時には大きな威力を発揮する。情報伝達の手段としては重要な役割を持っている。

  だれでもが簡単に携帯でき、最近は手回し発電の懐中電灯兼ラジオという防災グッズもある。そのラジオが東北の被災地にはあまりないと聞いた。テレビや携帯に依存しすぎて、ラジオの大事さを忘れていたのかもしれない。

  今度の震災では、3万人以上の死者・行方不明者が出るのは確実な状況になっている。日々の新聞、テレビ、ラジオでは被災者のさまざまなエピソードが伝えられている。それ以外にも悲しくてつらい話は尽きない。

  私の知人は地震の直前に初孫が生まれた。しかし、それから数時間して、奥さんの実兄が津波に流され、行方不明になった。新しい命が誕生し、かけがいのない命が奪われる。この話を聞いて、穏やかな知人の表情を思い浮かべながら、自然の摂理だと割り切れない切なさがこみあげてきた。