小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1512 彼岸花とアカザのこと 気象変動と食べ物

画像

 ことしの日本列島は、台風による大雨で各地に大きな被害が出ている。北海道では農作物への影響も少なくない。温暖化による気象変動が激しい季節だが、秋の彼岸も近い。間もなく彼岸花(別名、曼珠沙華)も開花するだろう。たまたまこの花のことを調べていたら、かつて彼岸花は飢饉のときを考えて食用として植えたものであるという話が『つい誰かに話したくなる雑学の本』(講談社+α文庫)に載っていた。

 球根に毒があるという彼岸花がどうして食用になったのだろう。 同書によると、彼岸花セイタカアワダチソウと同様、渡来植物である。雄株と雌株があったが、雄株の方は日本の酸性土壌と合わずに雌株だけ残った。球根で増えるので、10年間で1メートル程度しかテリトリーを広げることができない。昔の人はこれを知っていて、「彼岸花は毒だからさわってはいけない」と言い伝え、自然増殖できるよう配慮したのだという。

 球根にはアルカロイド( 窒素を含む塩基性の植物成分)という毒が含まれているが、水にさらすと溶けて無毒になる。球根には多量のでんぷん質が含まれているので、これが食用になった。だが、彼岸花を食べるのは他のものを食べ尽くした最後の最後だった。毒性があり危険と隣り合わせであったからなのかもしれない。

 花の名前も秋の彼岸のころに咲くという意味のほか、最後の最後の食べ物ということでこの名前が付いたという説もあるそうだ。 現代では、彼岸花を食べるという風習は聞かない。戦時中に食べられたという雑草のアカザ(アカザ科の1年草)も同様だ。

 若葉が食用になるといわれるが、アカザの羹(あつもの=吸い物)は粗末な食事の形容として使われるそうだが、これもあまり聞かない。食べた人の話を聞くと「まずい」の一語に尽きるそうだ。

 だが、アカザも俳句(アカザは夏の季語)になると、なかなか風情がある。

 宿りせむ藜(あかざ)の杖になる日まで 芭蕉

 ふるさとの藜も杖となるころか 三田きえ子

 藜長く空家のままの我が生家 棚山波朗  

 アカザの茎は1・5メートル以上に伸び、太い茎は乾燥させて杖にすることができる。芭蕉は貞享4年(1687)10月から翌年4月まで「笈の小文(おいのこぶみ)の旅」に出た。それを終えて岐阜の門人の寺・妙照寺に到着すると、庭に藜が茂っていて、岐阜の門人たちが芭蕉の到着を歓迎してくれた。そこで「この庭に咲いているアカザが、秋になって杖にすることができるまで逗留したい」という意味のこの句を詠んだといわれる。

 三田と棚山の2句は、「故郷の廃家」という歌を思い起こさせる抒情的な句だ。 先日故郷の知人から梨が届き、きょうは姉がたくさんの栗を送ってきた。私も故郷の秋を思い出した。

1160 心和む曼珠沙華 あまちゃん終わり、やがて悲しき