小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1222 さまざまの事おもひ出す桜かな 東京を歩いて

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「さまざまの事おもひ出す桜かな」。芭蕉45歳(1688年)の時の句である。桜が満開になった先日、こんな思いを抱きながら東京の街を歩いた。

 書店に行くと、「ウォーキング」に関する本がかなり並んでいる。のんびり歩く散歩に比べ、同じように歩くことでも、こちらは「有酸素運動」(脂肪や糖質を酸素によって燃焼し健康促進に役立つ)という効果があるという。有酸素運動になったかどうかは分からないが、「1000人桜ウォーク」というイベントに参加し、東京の青山からお台場まで10キロを歩いた。

 青山墓地の満開の桜を見て、初めてレインボーブリッジの遊歩道へ足を踏み入れ、東京の伝統と新しさを味わう時間を送った。 フリーペーパーの草分けともいえる新聞社が主催したこのイベントは、青山公園をスタートし、青山通り青山墓地六本木ヒルズ麻布十番芝公園前―芝浦埠頭―レインボーブリッジ遊歩道―お台場海浜公園を経て、ホテルグランパシフィックに至る10キロを5時間以内に歩こうというものだ。

 天気もよく青山墓地六本木ヒルズソメイヨシノが満開で、ウォーキングとはいえ1000人の参加者はカメラを向けながらのんびりと歩き続ける。 青山墓地にさしかかってかなり昔にここで花見をしたことを思い出した。

 現在は禁止になっているのだろうか。そうした飲み食いの光景はない。麻布十番ではお菓子やパンなどを買うため、横道に逸れる人も少なくない。芝浦埠頭を通りレインボーブリッジに到着し、エレベータを使って7階の遊歩道まで上がっていく。

 車で何度か通ったことがあるが、車道の両脇にある遊歩道を歩いたのは初めてだった。 松浦寿輝著「川の光2」(中央公論)には、悪い人間に囚われた犬のゴールデンレトリーバーを救うため、小型の雑種の犬をリーダーとする7匹の動物たちが真夜中にレインボーブリッジの遊歩道を渡る場面が出てくる。

 その一部―。「歩道はまったくの無人だけれど、背後からひっきりなしに突進してきて、犬たちのすぐ傍らを通り過ぎてゆく自動車の轟音と震動がすさまじい。(中略)それに加えて、この高さが恐ろしい。犬たちのいるところは海面から50メートルの高さなのだ。(中略)いきなり目の前に現れたこの茫漠とした広大な空間に、犬たちは圧倒されていた」

 1993年8月に開通したこの橋は、ライトアップされた夜間の景観が美しいことで知られている。たしかに遊歩道から見る東京湾の眺めはいい。ただ車の騒音がひどく海風が強いため、のんびりとたたずんでこの広大な空間を楽しむだけの余裕はない。レインボーブリッジを渡り終え、お台場海浜公園に入ると、大勢の家族連れやカップルが浜辺で遊んでいた。

 人通りの多い公園を抜け、しばらく歩くとホテルのゴール地点だった。道草を食いながらの10キロのウォーキングに要した時間は約4時間だった。 ふだん散歩をしているわが家近くの6・4キロの遊歩道1周の時間は1時間10分程度だから、今回の10キロはかなり時間がかかったことになる。

 それだけコースの周辺に道草を食わせるだけの魅力があるということなのだろう。それが東京なのである。 社団法人日本ウォーキング協会は次世代に残したい道として「美しい日本の歩きたくなるみち500選」を選定している。今回のコースはこれには含まれていないが、歩きたくなる道はこの日本列島には多数存在する。

 中でも東日本大震災の被災地には美しい道が少なくない。だが原発事故の福島には人の姿がない寂しい道があるのも現実である。 青山墓地で満開の桜を見たこの日の私の心境は、冒頭の芭蕉の句に近いものがあった。だれもが桜にまつわる思い出を持っているだろう。

 芭蕉はこの句を上野(現在の三重県伊賀市)に帰郷した際につくったという。芭蕉は、故郷の桜を見ながらこれまでの人生の出会いを懐かしく思い出したのだろう。

 写真 1、青山墓地の桜 2、六本木ヒルズの桜 3、レインボーブリッジからの眺め 4、お台場海浜公園

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