小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1503 ロッキード事件40年 様変わりした検察

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 NHKTVでロッキード事件特集が放送された。のちに検事総長となる吉永祐介氏が東京地検特捜部副部長・主任検事として様々な困難を乗り切って田中角栄元首相の逮捕にこぎつけるが、もう一つの捜査ターゲット、自衛隊のP3C導入をめぐる疑惑は解明されなかったことを資料や証言で構成した番組だった。ロッキード事件が発覚して今年で40年。首相の犯罪を摘発した検察は弱体化し、見る影もない。  

 日本の報道機関がこの事件を知ったのは、1976年2月5日夜のことである。その夜のことを私は今も鮮明に記憶している。

《私は社会部で泊まり勤務をしていた。当時、午前1時が過ぎると、泊まり勤務のデスクと記者3人が近くのスーパーで買ってきたビールとつまみで反省会をやる。一番年下の私はみんなから500円をもらい、買い出しに出かけようとしていた。そんな時外信部からデスクが走ってくるのが見えた。それがロッキード事件報道の始まりだった。  

 外信部のデスクは外電(APだったかもしれない)が報じた紙を持ってきて、私たちに見せた。それにはごく短く、米国の上院多国籍企業問題小委員会の公聴会で、航空機メーカーのロッキード社が海外に政治献金をしているという実情を証言、その中に日本の右翼・児玉誉志夫や総合商社の丸紅が介在していることが書かれていた。  

 国内取材はもう間に合わない時間だった。とりあえず、外電を翻訳した記事がそのまま新聞社や放送局に流れた。翌日の朝刊には地味な扱いだったが、この記事が掲載された。それが、のちに首相経験者である田中角栄の逮捕に発展し、日本社会に衝撃を与える事件になるとは想像もつかなかった。》  

 当時の田中氏は、自民党政治の黒幕であり、政界最大の実力者だった。その田中氏を逮捕したのだから、検察の疑惑解明に賭ける意気込みは尋常なものではなかったはずだ。吉永氏はその後東京地検検事正になり、さらに頂点の検事総長にもなった。  

 東京地検検事正に就任した際「厳正公平、不偏不党で犯罪と対決し、より充実した検察を推進する。基本に忠実であり、当たり前のことを当たり前にやる。平凡なことだが、実行は必ずしも容易ではなく、平凡なことを日常積み重ねることが非凡につながる前提だ」と述べている。それは検察官が付けている記章「秋霜烈日」の意味(秋の厳しく冷たい霜と夏の強い日差しから、刑罰・権威・意志などが極めてきびしく、また厳かなことのたとえ)と重なる。  

 その検察・特捜部は、いま骨抜き状態だ。小渕優子元経産大臣や甘利明元経済再生担当大臣の政治資金をめぐる疑惑は、当時の特捜部なら当然立件していただろう。だが、特捜部はこれらを立件せず、国民の眼には政治家の疑惑に及び腰であると映るのだ。  

 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件(2011年)などの不祥事が多発したことによって検察の威信が低下したことが背景にあるが、現政権に人事を含めて牛耳られ、政権にすり寄る法務官僚の存在も指摘されている。社会の不正を糺す役割を果たすことができずに手をこまねいている状態の現代の検察にとって、ロッキード事件は伝説の事件になりつつある。