小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

199 時代を映す作品集 小説とノンフィクションと

画像

 バイオリズムは「体調の波」という意味に使われることが多くなった。私の場合、この体調の波は、週後半に大きく下降線をたどるのが通例のようになっている。そんな時には、難解な本を手にとっても内容はなかなか頭に入らない。

 書店に行っても小説類につい手が伸びてしまう。そこで今週は体調不良の時に読んだ「転々」藤田宜永著、新潮文庫)「長生き競争」(黒野伸一著、集英社)の2冊と、以前に読みブログに紹介していなかった田中森一著「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬社)を取り上げてみる。

 藤田の小説は、いまの日本を色濃く反映しながら結末が想像しにくい。サラ金に追われた学生が100万円の謝礼を条件に元サラ金の取り立て屋(あるいは探偵)に頼まれ、井の頭公園から桜田門の警視庁まで一緒に数日かけて歩くという奇妙な物語だ。 この本は東京という先端から底辺まで何でも包含している街の姿をリアルに描いている。2人の歩いた道のりを確認しながら、東京をたどるのも面白いかもしれない。

 いま、この作品が原作と同じ題名の映画(学生役がオドギリジョー、元サラ金の取り立て屋役が三浦友和)となり、全国で上映されている。 藤田は北陸出身だが、東京の街には詳しい。私はサツ回り記者時代、この小説で2人が歩いた街を担当した。しかし、藤田ほどには詳しくは街の様子は知らない。

画像

「長生き競争」は、高齢化社会の日本を象徴するような元気な老人の物語だ。幼なじみの76歳の6人の老人(男5人と女1人)が同窓会で集まり「長生き競争」をすることを約束する。 お互いに自分の資力で4万4千円から4500万円まで4のつく数字の金を持ち寄り、一番長生きした人がその金を受け取るという長生きゲームだ。女性の方が長生きするのは常識だが、6人はそんな常識とは関係なく、ゲームをやることに同意した。集まった5千万円以上の金を主人公が預かる。

 年月が過ぎ、6人は次々にこの世を去っていく。そして、最後に残ったのがだれだったか、ここでは書かない。この小説には、6人以外に主人公の家に舞い込む20歳の元気はつらつだが、エイズに罹患した女性と、元恋人、やり手の主人公の娘、元暴走族で主人公を慕う3人の若者たちが出てくる。

 その若者たちが、老人と対等に付き合うという設定も好感が持てた。高齢化社会の日本では、この小説のような魅力的な老人たちも少なくないのではないか。この本を読んで、年を取るのも悪いことではないなと思ったものだ。

画像

 田中森一の「反転」は、ことし大きな話題になった。東京地検特捜部のらつ腕検事として鳴らした後、弁護士に転じ、問題企業や問題人物たちを弁護し、裏社会の守護者として有名になった。 しかし、詐欺事件に関与して許永中とともに逮捕され、地裁段階で実刑判決を受けた。この本は田中自身の生い立ちから、検事時代、裏社会の弁護活動を書いていて、「事実は小説よりも奇なり」をほうふつさせる面白い内容なのだ。

 田中の自己顕示欲は強烈だ。だから、検事をやめたのだろうし、検察にもにらまれたのだろうか。 検察は、いま守屋・前防衛事務次官汚職事件を捜査中だ。検察内部でどんな議論が交わされ捜査が進んでいくのか、田中の本を読んだ読者は何となく想像できるのではないか。田中の生き方には共鳴できない読者でも、検察の捜査の実態を国民に明らかにしたという点では評価できる作品といえる。

 それにしても、社会正義を追求したはずの検事たちが、検事をやめた後、弁護士となり「巨悪」の側の弁護をする姿にはあきれてしまう。田中氏もそうだったが、「ヤメ検」といわれる彼らの頭の構造はどうなっているのかと疑う。元検事として筋の通った生き方はできないものなのか。