1502 あすなろ物語 横綱目指す稀勢の里
大相撲の大関・稀勢の里は名古屋場所も優勝できなかった。夏場所と名古屋場所で連続して「綱取り」の場所といわれながら優勝できずに場所を終えている。辛口の解説者、北の富士さんは「稀勢の里を横綱にさせたい後援会の会長になりたいくらいだ」と広言する。歯がゆくても横綱になるだけの力量があるのは、いまは稀勢の里しかいないから、そう言うのだろう。
そんな稀勢の里には「アスナロ」の言葉がぴったりする。 「アスナロ」は漢字で「翌檜」と書く。ヒノキ科の常緑高木で、この名前は「明日はヒノキになろう」という意味を持つ。
井上靖の小説「あすなろ物語」を読んだことがある。伊豆の小さな村で血縁のない祖母と土蔵で暮らした少年が成長し、新聞記者になる道程を描いた井上の自伝的作品である。井上はこの作品で、明日こそヒノキになろうと思いながらそれが果たせないアスナロに託して、主人公の苦闘する姿を描いている。
稀勢の里の現在は、ヒノキ(横綱)になろうと挑戦しながら、果たせないアスナロ(大関)の姿を連想させる。稀勢の里が横綱への道半ばで悪路に苦労しているころ、プロ野球広島カープの黒田博樹投手(41)が日米通算200勝を達成した。
プロ野球の投手にとって、相撲の横綱になったと同様の価値がある記録である。その黒田は大リーグ、ヤンキースのエース格にまで上り詰めた大投手になりながら、カープに復帰した。 しかし、これまでの野球人生は苦労の連続だった。
そんな黒田は「耐雪梅花麗」(雪に耐えて梅花麗し)という漢詩の一節(西郷隆盛が甥に贈った漢詩)を座右の銘にしているという。雪に耐えた梅の花が、春になって美しく咲く様子を表し、人も試練を乗り越えてこそ大成するという意味だ。
稀勢の里がアスナロのままで終わるのか、あるいは雪に耐えた梅の花のように美しく咲くことができるのか、次の秋場所には答えが出るはずだ。 以前のブログにも書いている通り、稀勢の里の風貌は第4代横綱、谷風梶之助(1750~1795)に似ているという。
無類の強さと優れた人格を持ち、横綱の模範とされる谷風が横綱になったのは39歳の時である。その後も44歳まで現役を続けた。インフルエンザで急死しなければ、もっと長く横綱を務めただろう。かつてはそんな大先輩がいた。 稀勢の里は現在30歳。昨今は力士生命もだいぶ伸びてきている。稀勢の里も谷風や黒田を見習って、試練に耐えてほしいと願うばかりである。