8月になった。ことしの立秋は7日だから、暦の上での夏はきょうを含めてあと6日しかない。とはいえ、心地よい秋の風が吹くのはまだだいぶ先のことだ。盛夏の昨7月31日、大相撲で初めて国民栄誉賞を受賞した第58代横綱千代の富士が亡くなった。61歳という早すぎる死を悼みながら、国技館で初めて千代の富士を見た時のことを思い出した。
当時、千代の富士は幕内の力士だった。のちに呼ばれる「ウルフ」というニックネームはついていなかった。身長183センチ、体重120キロと大型化が進む角界では小兵であり、左肩の脱臼という慢性的けがを抱えていた。だが、土俵に上がった千代の富士は肌の色艶がよく、全身が輝いていた。力感あふれる取り口からはオーラを感じ、彼の周りに一陣の涼風が吹いた印象を抱いた。
あまり注目されなかった千代の富士は、その後肩の脱臼癖を克服、力を付けて横綱に昇進し、31回の優勝を飾る大力士になった。「小よく大を制する」という言葉の通りの活躍ぶりに大きな人気が集まり、相撲界のヒーローになった。だが、その晩年は不遇であり、寂しいものだった。その理由はさまざまな説が流れているが、ここでは書かない。
《飄然(ひょうぜん)として何処(いづく)よりともなく来(きた)り、飄然として何処へともなく去る。初(はじめ)なく、終(おわり)を知らず、蕭々(しょうしょう)として過ぐれば、人の膓(はらわた)を断(た)つ。風は、過ぎ行く人生の声なり。》
千代の富士の訃報を聞いて、徳富蘆花の「自然と人生」の一文が頭に浮かんだ。人生とは風のようにはかないものだと感じるのだ。
2013年1月に大鵬(第48代横綱)が、2015年11月に北の湖理事長(第55代横綱)が亡くなった。昭和の大力士たち(千代の富士は平成に入っても5回優勝しているが、昭和の代表力士の一人といえる)は歴史の彼方へと退場してしまった。天皇の生前退位が取りざたされている。平成も28年。昭和は遠くなりけりである。
写真 千代の富士の故郷、北海道の夏の風景(滝川にて)