小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

707 特捜検事の堕落 悪魔が来りて笛を吹く

馬鹿な検事がいたものだと思う。障害者団体向け割引郵便制度をめぐり偽の証明書が発行された郵便不正事件で、証拠品として押収したフロッピーディスクを改ざんしていた 疑いで最高検に証拠隠滅容疑で逮捕された大阪地検特捜部の検事、前田恒彦容疑者(43)のことだ。

特捜部が昨年5月26日、村木厚子元局長の元部下だった上村勉被告の自宅から押収したFDの最終更新日時を2004年「6月1日から6月8日」に書き換えたというものだ。

朝日新聞の朝刊で報道されたと思ったら、すばやく最高検が動き(昨夜かららしい)、あっという間に逮捕してしまった。これ以上引き延ばしていると、さらに痛くもない腹を探られると思ったのかもしれない。同時に、検察当局の危機感の現れだ。

このところの検察批判はすさまじい。検察の捜査が正義を追求するというよりも、「捜査のための捜査」という権力の乱用が目につくからだ。それは村木元局長の公判の過程、さらに無罪判決でも明らかになった。前田検事は功を焦って法律家としてはもとよりだれが考えても「やってはならないこと」に手を染めてしまった。

何人かの検察官に接したことがある。この人たちにもいろいろな人がいる。権力を持っているという背景を基にした自信過剰派、あくまで法律を基本に正義を追求する良識派、そしてこの中間の人たち。

当然、前田検事は自信過剰派だったのだろう。このタイプは裏返せば周囲の評価を気にする。「大阪地検特捜部のエース」などといわれれば、それだけ肩に力が入っていたに違いない。プレッシャーも大きかったのだろうか。そうした姿勢に悪魔が入り込む隙が芽生えたのだ。それはまさしく「悪魔が来りて笛を吹く」(横溝正史の小説の題名)的な状況だ。彼は悪魔が吹く笛に踊り、無理な捜査を重ね、FDの改ざんまで犯してしまったのだ。地に堕ちたといえよう。

このような検事が主任を務めた事件で逮捕された村木元局長は気の毒としか言いようがない。「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」という。「災いと福は、縄をより合わせたように入れかわり変転する」という意味だ。出世街道を歩んでいた村木元局長は、検事が考えた事件ストーリーの中心人物としてイバラの日々を送ることになった。

この事件は、検察にとって大変な事態に発展する可能性がある。第一次捜査は警察にまかせ、検察はその後の起訴へ向けての補充捜査と公判対策に専念すべきだという声も出ている。特捜部の解体論だ。そうなると喜ぶのは「巨悪」である。