小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1479 街路樹の下を歩きながら 文章は簡単ならざるべからず

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 大型連休が終わった。熊本の被災地では、依然避難所暮らしを余儀なくされている人が少なくない。一方で、被災地以外では多くの人がどこかに出掛け緑の季節を楽しんだのだろう。それがこの季節の習わしだ。以前は私も同じ行動をとっていた。だが、最近は違う。主に本を読み、体を動かして時間を送っている。緑が増した街路樹の下を歩きながら、読んだ本の内容を反芻することもある。 この間、3冊の本を読んだ。いずれも筆者の個性がうるさいくらいに伝わる本だった。以下にその寸評。

 内田樹『街場の文体論』(文春文庫) 

 神戸女学院大学の教授を務めた内田の最終講義を基にした文章論。大学の先生の博覧強記ぶりを感じる。ただ、癖があり過ぎて途中で本を捨てたくなった。内田が村上春樹を評価していることに、なるほどと思う。言葉とは「魂から出る」「生身から生まれる」という結論。分かるようで分からない。

 原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫) 

「税関吏」といわれたフランスの画家、アンリ・ルソー(1844~1910)の代表作「夢」に酷似した作品をめぐる美術ミステリー。日本人女性研究者とニューヨーク近代美術館のキュレーター(学芸員)の対決を軸に物語は進んでいく。原田自身もキュレーターを経験しているだけに美術に詳しい。アンリ・ルソーの魅力を十分に引き出している。

 狩野博幸若冲』(角川ソフィア文庫) 

 上野の東京都美術館で現在「若冲展」が開催中だ。江戸時代、京都で活動した若冲は明治以降忘れられた存在になった。それが最近になって脚光を浴びている。何人かの若冲研究者が寄与したのだろう。狩野もその一人であり、この本で若冲に関して90%は理解できた。不満なのは、若冲作品かどうかで論争がある「鳥獣花木図屏風」(プライスコレクション)に触れていないことだ。なぜこの問題を避けたのか分からない。

 正岡子規は「文章は簡単ならざるべからず、最(もっとも)簡単なる文章が最(もっとも)面白き者(もの)なり」(岩波文庫『筆まかせ』)と書いている。子規のいう面白き文章といえるのは、3冊のうちどれか?

 街路樹の下をのんびり歩いていると、向こうから大型犬のゴールデンレトリーバーがやってきた。飼い主が歩かせようとするが、犬は20メートルも先で立ち止まり、足を踏ん張って歩こうとしない。私が近づくと全身で喜びを表すように体を揺らしながら飛びかかってきた。頭をなでても、激しい動きは止まらない。

 かつて、わが家にも同じ犬種がいた。時々散歩で出会ったことを、この犬は忘れていないのだ。かつて連休には犬を連れて必ず遠出をした。それを思い出し、懐かしい気分と寂しい気分がない交ぜになった。

 写真 ローカル線の車両は郷愁を呼ぶ。(小湊鉄道