小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1466 犬が眠る場所 あれから3回目の桜

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 わが家の飼い犬、ゴールデンレトリーバーのhanaが死んだのは2013年7月30日だった。その遺骨は庭の金木犀の根近くに埋めてある。家族で居間からよく見える場所として選んだのだが、いまになって思うと一冊の本の内容が深層心理に働いたのかもしれない。それは宮本輝の『彗星物語』(角川文庫)だった。hanaは、「うちの飼い主は主体性がない」と、笑っているかもしれない。

 宮本の作品は、大阪と神戸の中間にある伊丹(大阪府)が舞台。核家族化が常態化し、日本では大家族は少なくなったが、登場する家族はハンガリーからの留学生も入れると全部で13人という大家族である。物語は留学生を受け入れた家族と一匹のビーグル犬が織り成す悲喜劇である。

 自分を犬と思っていないビーグル犬が見事に主役を演じている。ビーグル犬は、物語の終わりに死んでしまい、庭の金木犀の根元に埋められる。 この本を読んだのは1992年7月だから、24年前のことになる。本の存在、内容を完全に忘れてしまっていた。最近たまたま当時のメモを読み返して、この作品のことを思い出した。

 本を読んで20年後、同じように私も飼い犬の遺骨を金木犀の根元に埋めた。 作家の中野孝次は飼い犬の亡骸を庭のザクロの木の根元に埋め(『ハラスのいた日々』・文春文庫)、山崎豊子は椎の木の下に葬った(『いつも犬と一緒に』「ヒルセンの死」・新潮文庫)。中野の庭には「HARRAS(1972.6.10-1985.5.15)」とドイツ文字で彫られた墓石があるという。

 私はそうした目印は何も置いていない。その代わりには、hanaとの思い出をブログに綴り、連載した。 その冒頭、以下のように記した。

《私は毎朝、「ゴールデンレトリーバーの雌犬「hana」と散歩をするのを日課にしていた。コースは大雨を調整するための人工池の周囲の道やけやき並木が続く遊歩道で、四季の移ろいをhanaとともに味わい、その風景を楽しみながら歩き続けた。hanaは私の散歩の友であり、家族の一員だった。だが、病気の ため2013年7月30日未明、この世を去った。11歳1カ月の生涯だった。大型犬は10歳を過ぎると、そのあとの時間は「神様からの贈り物」だとい われるそうだ。その定説が当たってしまい、私たち家族には神からのプレゼントの時間はあまりにも短いものだった。》

「神様からの贈り物」という言葉の由来は、スイスの言い伝えらしい。スイスでは「3歳までは幼犬、6歳までは良犬、9歳までは老犬、10歳からは神様の贈り物」と呼び、特に大型犬の寿命が短いことから「10歳からは神様からの贈り物」というのだそうだ(馳星周『ソウルメイト』・集英社)。

 hanaの散歩コースの調整池の遊歩道では桜の花が満開だ。神様からの贈り物の時間が1年しかなかったhanaがいなくなってから3回目の桜の季節。一人で歩く私の横に、hanaが付いているように思えてならない。

 さまざまの事おもひ出す桜かな(芭蕉

1257 hana物語(1) あるゴールデンレトリーバー11歳の生涯