小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1445 うぐいすの初音を聞く朝 ホーホケキョは雄鳥

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 ラジオを聞きながら散歩をしていたら、うぐいすの便りをやっていた。きょうは九州の佐賀、四国の高知、さらに関東の神奈川で初音を聞いたというのである。私の住む千葉市はまだまだかなと思って聞いていると、イヤホンを付けた耳に懐かしい響きが飛び込んできた。

 聞き間違いかとイヤホンを外すと、やはりうぐいすが近くで鳴いている。「春告鳥」ともいうが、今年は例年より春の到来が早い。 手元の鳥類の図鑑や百科辞典によれば、うぐいすはスズメ目ヒタキ科の漂鳥。翼長は雄16センチ、雌14センチほどだからスズメと同じくらいの小鳥だ。背面はオリーブ褐色で背面は灰白色をしている。日本、朝鮮半島、中国東部、フィリピンなどに分布し、漂鳥として夏は山地の低木林ややぶで営巣し冬は平地におりる。

 うぐいすの特徴である「ホーホケキョ」は、雄が鳴くのだという。 そうか「ホーホケキョ」は雄の仕事だったのか。縄張り宣言、侵入者への威嚇などの説もあり、それを私たち人間が楽しんでいるのだから面白い。そういえば、今朝のうぐいすは街路樹から民家の庭へと移りながら鳴き続けていたから、縄張り宣言だったのかもしれないと思う。

 鶯の啼くやちいさき口あいて

 与謝蕪村の句である。前述の通り、うぐいすはスズメと同じくらいの小鳥である。その小さな鳥が、小さな口をあけてホーホケキョと鳴いている様子を詠ったのもので、詩人で文芸評論家の大岡信は「詠まれているのは古来だれもが見知っているはずの情景である。しかし、古来だれも、鶯という鳥を「啼くや小さき口あいて」とは詠まなかった」(大岡信ことば館)と書いている。

 また、萩原朔太郎は『郷愁の詩人 与謝蕪村』(岩波文庫)のなかで「単純な印象を捉えた、純写生的の句のように思われる。しかし鶯という可憐な小鳥が、真紅の小さな口を開けて、春光の下に力一杯鳴いてる姿を考えれば、何らかそこにいじらしい、可憐な、情緒的の想念が感じられる」と評している。 たしかにそうだ。当たり前の光景なのに、そうした句を詠んだ蕪村の感性・自然観察眼は鋭い。

 JR山手線(東北本線)上野と日暮里の間に鶯谷という駅がある。現在、行政上の地名はないが、駅名としてだけ残っている。元録時代、寛永寺の住職として京都からやってきた皇族の公弁法親王が上野の森のうぐいすの鳴き声がきれいでないと感じ、京都から早鳴きのうぐいすを取り寄せ、根岸に放鳥し周辺がうぐいすの名所になったことが、鶯谷の地名の由来だそうだ。

 筒井功著『東京の地名』(河出書房新社)によれば、「うぐいすだに」などという風流な名からして一部の文人による人工地名の可能性が高く、正式の町村名にはならなかったが、明治45年(1912)に東北本線の駅名に採用され、今日まで残ったのだという。

 うぐいすの初音を聞きし目覚めかな

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写真 1、鉄塔と夕陽と富士山と 2、サクラソウの季節でもある

403 うぐいすが鳴いた 優しい初音

942 春を告げるメロディー 心弾む季節は遠く…