小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1389 8・15は暗黒の十字路 70年談話に思う

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「『8・15』とはまことに無慚なさまざまな体験と自責と怨念と愛憎とのブラック・クロス(暗黒の十字路)である。そして今なおそうであり続けている」。歴史家の色川大吉は『ある昭和史 自分史の試み』の中で、8・15について、このよう述べている。

 太平洋戦争、日中戦争終結して70年になった。この日に対する思いは人それぞれにしても、戦争とは何かを考える時間を持ちたい。 昨日の夕方、安倍首相が戦後70年談話を発表するテレビ中継を見た。美辞麗句、間接表現に終始した談話だった。4つのキーワードといわれた「植民地支配、侵略、痛切な反省、心からのおわび」の部分は、安倍首相自身の生の言葉ではなかった。

 過去の談話からの引用であり、当事者意識がない3人称の批評家的表現といえる。 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう2度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」 「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」

 できれば入れたくはない。だが、諸情勢を考え、仕方なく入れたという妥協の産物と私は受け止めた。憲法学者のほとんどが違憲と指摘する安保法制を衆議院で強行可決したものの、その後の支持率急減で慌てふためいているという背景があるに違いない。

「日本では、戦後生まれの世代が今や、人口の8割を超えている。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」というくだりにも違和感を持った。

 理不尽な侵略戦争を仕掛けた側の責任はそう簡単に消えるものではないし、忘れてはならないはずなのだ。 1995年に戦後50年の談話を発表した村山富一元首相は、安倍首相の談話を聞いて、「談話が引き継がれた印象はなく、焦点がぼけていて何を言いたいのかさっぱり分からない」と話した。

 テレビを見ながら、私も同じ印象を受けた。 冒頭の言葉を書いた色川は、この後「昭和史はまことに重い。とくに1945年という年の重さは、軽佻な批評家どもがなんといおうと、30年後(この本が出たのは1975年)の今日においてなお、越えることができない圧倒的な重量感でわれわれに迫っている」と結んでいる。

 一方、戦後70年という歴史の節目を述べた首相の談話は軽い。琴線に触れるものはなかった。聞いていて虚しさを感じたのである。 追記 きょう日本武道館で開催された政府主催の戦没者追悼式で、天皇陛下は「さきの大戦に対する深い反省」という言葉を初めて述べた。安倍首相は反省という言葉も、戦争によって被害を受けた他国の犠牲者に対する哀悼の意についても触れなかった。これが安倍氏の本質なのである。

 写真は日本最西端の駅、たびら平戸口(記事とは無関係です)