小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1384 7月の終わりに 炎暑の中で

画像 私の部屋に1枚の絵ハガキがある。 ペルーの世界遺産マチュピチュの遺跡を背景に動物のリャマが草を食んでいる風景である。よく見ると遺跡周辺には豆粒のように観光客の姿が写っているが、手前のリャマの周辺に人はいない。何とものんびりしていて、気に入っている1枚だ。

 同じペルーには、もう一つ有名な世界遺産がある。ナスカの地上絵だ。この絵に関して、先日興味深いニュースがあった。 以前から地上絵について研究している山形大学が、ナスカ市街地の北約1・5キロの丘の斜面でリャマをかたどったとみられる地上絵24点を新たに発見したと発表したのだ。

 山形大学には地上絵の研究所があり、2013年にはリャマの絵17点を発見し、さらに13年度の調査地点の近くから5点、付近の山の斜面から19点を発見したという。これらは全長5~20メートルで、紀元前400~同200年ごろのものとみられ、地上絵でよく知られているハチドリの絵よりも数百年古い時代のものらしい。

 地上絵は空からの観察が一番いい。だから、現地では小型機(セスナ)による地上絵鑑賞のための遊覧飛行が行われている。私が地上絵を見たのは2014年3月のことだった。ナスカの飛行場から、セスナ機で飛び立ち、約30分地上絵の上を回った。その時の様子は既にこのブログで取り上げている。

 12人乗りの新鋭機とはいえ、昔セスナで仙台から函館まで移動した際、ひやりとした体験をしており、搭乗中は何となく落ち着かなかったことを記憶している。 7月26日昼、東京・調布飛行場から離陸した小型飛行機(パイパー PA-46)が付近の住宅に墜落、操縦士や住民3人が死亡し、5人が重軽傷を負う事故があった。

 原因はまだ不明だが、テレビに映し出された映像は、航空機事故の惨状を思い知らされた。 ペルーからの帰りに、ロス空港から成田空港までマレーシア航空機に乗った。その1週間前、クアラルンプールを出発し北京に向かったはずの同航空機(乗員、乗客239人、ボーイング777型機)が消息不明になったばかりで、この時も内心、不安があったから、成田に無事到着して気持ちが楽になった。

 不明機の機体の残骸らしいものとスーツケースが7月29日にインド洋のフランス領レユニオン島(ブルボンコーヒーの発祥の地といわれる)で発見されたという。消息不明になってから約1年5カ月だ。 地図で見ると、レユニオン島は自然の宝庫といわれるマダガルカス島の東側にある島(両島間は800キロ)だ。消息不明機だとすれば、なぜ北京とは反対の、こんな遠方まで飛行したのだろう。

 ナスカの地上絵の作成の理由が謎であるのと同様、科学が発達した現代でも謎は少なくない。 空を見上げると羽田空港に向け、徐々に高度を下げながら飛行機が飛んでいる。1985年8月12日。日航ジャンボ機が群馬県多野郡上野村御巣鷹山中に墜落し、520人が犠牲になった大惨事からことしで30年周年。あの夏も暑かった。

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