小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1359 33年続いた笠間の陶炎祭 息づく自由な発想

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 日本の三大焼物は「萩焼」(萩市)、「楽焼」(京都府)、「 唐津焼」(佐賀県)といわれる。このほか焼物の町として栃木の益子や愛知の瀬戸、滋賀の信楽はよく知られている。これに加え、茨城県笠間も陶芸家が住む焼物の町としてクローズアップされている。

 笠間では毎年、ゴールデンウィーク中に「陶炎祭」という焼物市が開かれている。それが今年で33回になった。ささやかな焼物市はいまでは、益子に劣らない人気の市になった。 私たち家族がこの焼物市に通って30年以上になる。

 小さな会場で開かれていた市はいつからか、山を切り開いた公園が舞台になっていた。それを取り仕切ったのは、先日叙勲で「瑞宝単光章」を受章した陶芸家の増渕浩二さん(70)だ。 増渕さんは国が認定する笠間焼の伝統工芸士で、1982年に陶芸家の仲間や陶器販売店などと協力してゴールデンウィーク中に陶炎祭を開催することを企画したのだ。以来、この焼物市は口コミで広がり、いまは50万人近くが集まる催しになり、笠間焼も全国的に知られる存在になった。

 増渕さんによると、陶炎祭を始めた当時、笠間焼きはほとんど知られていなかったというが、陶炎祭を機会に次第に知名度を高めたのだという。 笠間には篆刻家・画家・陶芸家・書道家漆芸家・料理家・美食家など、幅広い顔を持つ北大路魯山人の旧宅、春風萬里荘が移築されており、この周辺には多くの陶芸家が移り住んでいる。

 笠間焼は「特徴がないのが特徴」と言われているそうだ。確かに陶炎祭の会場を歩くと、実用品から芸術的な焼物まで売られているものは幅広い。笠間焼には何物にも縛られることがない自由な発想が息づいているのだろうか。 日本列島の陶芸の歴史の第一歩を印すのが「縄文土器」といわれる。

 東京帝大動物生理学教授のアメリカ人、E.S.モースが東京・大森貝塚を発掘し、1879年に刊行した報告書でこの名前を使った。縄文土器は1万6千年前という古い歴史を持つ。笠間焼にもこの伝統が流れているのである。

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