小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1358 下がるほど美事(見事)な藤の花 山に広がる紫の房

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 山藤の花が見事に咲いている。藤の花は蝶形をしていて房になって咲いているのが特徴で、ことしは例年よりもその美しさが際立っているようだ。花が下を向いているために「下がり藤」とも呼ばれ、家運が下がるという理由で敷地内に植えるのは不吉だという説もある。

 しかし、かつて勢力を誇った藤原氏の家紋は下がり藤であり、藤=不吉説の真偽はよく分からない。 『五重塔』で知られる作家、幸田露伴の娘で随筆家の幸田文の『木』(新潮社)という随筆集の中に、『藤』という作品がある。

 父親・露伴との藤にまつわる思い出が中心のエッセーだ。離婚して幼い娘を連れて実家に帰った文は、寺の境内で催された植木市に娘を連れて行くときに露伴からガマ口(財布)を渡される。娘は藤の鉢植えをほしいと言い出すが、文は高値の藤はあきらめさせ、山椒の木を買い与える。

 家に帰ると露伴は機嫌が悪く、孫が植木市で一番高価な花を選んだのは、花を見る確かな目を持っていたからで、なぜその確かな目に応えてやらなかったのか、と言い出す。 露伴の小言はこれだけでない。

「金が足りないならがま口ごと手金を打てば済む」「藤が高いのバカ値というが、何を物差しにして価値を決めているのか、多少値の張る買い物であったにせよ、その藤を子の心の養いにしてやろうと、なぜ思わないのか、その藤をきっかけに、どの花をもいとおしむことを教えてやれば、それはこの子一生のうるおい、女一代の目の楽しみにもなろう……」と露伴の文への批判は延々と続く。

 そんな文は、後に東京近郊の古藤といわれる藤の花を見て歩く。「野や山に自然のままにある藤ではなく、人に培われ、かばわれた花」だ。そうした藤の花の美しい姿から「情緒」という言葉を思い浮かべた文は、花よりも根に驚いたとも書く。

「その形状のおどろおどろしいのには、目が圧迫された。うねり合い、からみあい、盛り上り、這い伏し、それは強大な力を感じさせるとともに、ひどく素直でないもの、我の強いもの、複雑、醜怪さを感じさせた。花はどこまでもやさしく美しく、足もとは見るもこわらしく、この根を見て花を仰げば、花の美しさをどうしようとおろおろしてしまう」-というのである。

 文はエッセーの結びに「今度は山や谷に生きる自然の古い藤、若い藤の、花も根も見せてもらおうと、こころづもりしている」と書いている。文が書いているように、藤には人の手が介在して美しく咲き誇る人工美と、山の藤のように自由な姿をしている自然美とがある。

 どちらが好きかと聞かれたら、私は後者と答えるだろう。 鈴木棠三編『続故事ことわざ辞典』(東京堂出版)には「藤の花と念仏の行者とは下がるほど美事(みごと)なり」(松葉軒東井編『譬喩尽』、1787=より)ということわざが紹介されている。

「念仏を行ずる者は謙虚な心で、ただひたすら唱えればよいので、理屈は無用である」という意味である。「下がるほど美事」という言葉を、いまの政治家は知っているのだろうか。

 芭蕉は「草臥(くたび)れて宿かる比(ころ)や藤の花」(旅に疲れた一日の夕暮れ、旅籠に到着するころに紫の藤の花が咲いている)という句を残した。旅愁を感じる名句である。山に咲く藤を見ていると、さまざまな想念が湧いてくるのである。