小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1189 寂しい冬景色の城跡 佐倉で子規は何を思ったのか

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 国立歴史民俗博物館がある千葉県佐倉市佐倉城跡に俳人正岡子規直筆の句碑がある。 「常盤木や冬されまさる城の跡」(冬の荒れ果てた寂しさが増した城跡は、常緑樹に包まれている=注釈・作家・高比良直美氏)。

 この句が詠まれたのは1894年(明治27年)12月、厳寒の季節である。それから120年、同じ寂しい冬景色が佐倉城跡を包んでいた。 碑のわきにある説明にはこうあった。 明治の時代思潮を体現し、俳句・小説・文芸評論・写生画などに活躍した正岡子規(1867-1902)は、1894年(明治27年)本所―佐倉間に開通した総武鉄道に初乗りして佐倉の地を訪れている。

 その時の模様は、当時の新聞「日本」(12月30日号)に詳しいが、この句はその時詠んだものであり、写生文の創始者として、郊外写生の真髄をよく伝えている。この時子規は病気がちであり、その悲痛も感じられる。(以下略)

 この旅で子規は紀行文「總武鐵道」を書き、俳句20句をつくった。このうち佐倉では、城跡の冬の光景の句のほかに5つの句を詠んだ。

 藁掛けて風防ぐなり冬構

 霜枯れの佐倉見上ぐる野道かな

 かゆといふ物をすゝりて冬籠り

 古沼の境もなしに氷かな

 馬に乗る嫁入り見たり年の暮れ

 佐倉市内にある「歴史生活資料館」で開かれている「子規の道をゆく」(正岡子規・總武鐡道より)というパネル展示を見た。このパネル展は本所から総武鉄道に乗った子規の旅の模様を、佐倉在住で子規について造詣が深い作家の高比良直美氏から提供を受けた資料を基に再現したもので、子規ファンであるなしにかかわらず興味深い内容が展示されている。

 子規は佐倉を訪れた時、佐倉駅から海隣寺(一遍上人が開祖である時宗の寺)までの坂の道を歩いたのだそうだ。2時間弱のコースである。そうした歴史ある街の散策で、あっという間に前掲の6句をものにしてしまった。

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 詩人の大岡信は、子規について「子規はいろいろなことを見て、それを記録しましたが、それはそのまま自分の命がそこに記されているということです」(瑞穂の国うた・正岡子規の頭脳)と評している。

 冒頭の句碑にある「写生文の創始者として、郊外写生の真髄をよく伝えている。この時子規は病気がちであり、その悲痛も感じられる」は、子規の心情をよくとらえた説明だと思う。

「古沼の境もなしに氷かな」でも分かるように、当時の日本の冬は関東でも相当寒かったのだ。そんな厳寒の中、結核菌によって体を侵されつつあった子規はどんな顔をして歩いたのだろう。人気の少ない佐倉城跡を歩きながら、子規の旅模様を想像した。

 城跡に名高き句碑と冬木立