1184 森で見た天狗の羽団扇 ヤツデの白い花、そして梨木香歩「冬虫夏草」
小さな森を歩いていると、白い球状の花が咲いている木があった。ヤツデである。この木はかつて鑑賞用や目隠し用として家々に植えられていて、珍しくなかった。歌人の島木赤彦はそんな光景を「窓の外に白き八つ手の花咲きてこころ寂しき冬は来にけり」と詠った。いまは洋風の庭が増えてきたせいか、近所でも見かけることは少なくなった。
昔は、葉が大きいことから魔物を払う力があるとされ、「天狗の羽団扇」(てんぐのはうちわ)と呼ばれたそうだ。昨今の世相を見ていると、たしかに魔物を払う天狗の羽団扇がほしくなると思うことが多すぎる。
高村光太郎は「冬がきた」(道程より)という詩を書いている。
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹(イチョウ)の木も箒(ホウキ)になつた
きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た
高村光太郎は1883年(明治16年)3月に生まれ、1956年(昭和31年)4月に亡くなった。100年前の1913年12月(大正2年)作「冬がきた」の詩の中で、光太郎は「八つ手の白い花も消え」と書いた。一方、現代の植物図鑑によると、この花は初冬のころ、あるいは冬に咲くとあり、私が森の中で、きょう(12月27日)この花を見つけたのだから、地球温暖化はこの花の花期にも影響を及ぼしているのかもしれない。
高浜虚子に師事した竹下しづの女(福岡県出身)は「八ツ手散る 楽譜の音符 散るごとく」という俳句を書いている。高村光太郎の「冬が来た」の詩の直前ごろの季節を見事に描いた作品であり、森の中のあの花もいずれはこうして散っていくのだろうと想像する。
ヤツデついでに植物の話。というより本の話。先日読んだばかりの梨木香歩の「冬虫夏草」(時代は100年ぐらい前)の中には、樹木も含めてさまざまな植物が登場する。駆け出しの物書き、綿貫征四郎が行方の分からなくなった愛犬のゴローの探索とイワナの夫婦がやっているという宿屋を求めて、鈴鹿山中深くに入り込んでいく物語だ。
この小説には、冒頭の「クスノキ」から最後の「茅」まで実に39種類の植物がさりげなく織り込まれている。梨木は「西の魔女が死んだ」でも、自然にあふれた中での生活ぶりを書いたが、今回の作品でも自然と共生している人や動物の存在を綿貫征四郎という物書きの目を通して幻想的に描き出している。それは「梨木ワールド」といっていいのかもしれない。
写真
1、天狗の天狗の羽団扇と呼ばれるヤツデの白い花
2、森を流れる小川