小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1372 イザベラ・バードが見たアジサイ 『日本奥地紀行』より

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 梅雨の時期の花といえば、アジサイだ。この季節を好きという人はそう多くないだろう。だが、この花を見ていると少し気分は落ち着く。植物には南限や北限があるが、アジサイは日本のどこでもみることができる花である。

 イギリスの旅行作家、イザベラ・バード(1831~1904)の『日本奥地紀行』(平凡社、高梨健吉訳、1885年版より)、あるいは『イザベラ・バード日本紀行』(講談社学術文庫、時岡敬子訳、1880年版より)の中の北海道編にもこの花が出てくる。  

 1878年(明治11)5月、横浜から上陸したバードは、内陸ルートをたどり東京―北海道間を旅し、その後東京に戻ると関西までの旅を続ける。それをまとめたのが『日本奥地紀行』(東京~北海道)と『日本紀行」(東京~北海道)~関西)である。北海道にわたったバードは、函館を起点に道内を旅するが、アイヌ部落を訪ね平取に向かう途中、アジサイを見かける。8月23日のことである。  

「森林の樹木は、ほとんど柏と楡だけである。紫陽花属の蔓草が、白い花を咲かせながら樹木に一面に絡みついている場合が多かった。(高梨健吉訳)」  

「森の木々はほぼ神樹とけやきだけで、白い花をつけた紫陽花の蔓が木から木へとからまっていました。(時岡敬子訳)」  

 植物図鑑によると、アジサイの中にはツルアジサイという種類がある。山の中の半日陰の場所に生えていて、6~7月頃に木や岩に巻きつき、白いあじさい状の花を咲かせるというから、バードが見たのはこの花なのだろう。  

 バードは、ツルアジサイ以外に北海道の花についてこんなふうに書いていて、自然に対する観察力の鋭さを感じる。  

「北海道の特色として小さな野ばら(ハマナス)がある。深紅の花を咲かせ、オレンジの実をつける。実は枇杷の形をしており、野生の林檎ほどの大きさである。(中略)そのほかにばらのように赤色をした大きな昼顔、鈴のような青い花を列べた釣鐘草、頭巾型で紫色の花をつけているとりかぶと、誇らしげに咲いている浜昼顔、紫色のえぞ菊、雪ノ下、黄色い百合、それから特に目立つ蔓草があり……(以下略)」  

 5月27日に亡くなったフランス文学者の杉本秀太郎は『花ごよみ』(講談社学術文庫)の中の「紫陽花」の項で、フランスのブルターニュ地方を旅した時の思い出を書いている。ある夏のことだが、紫、淡紅色のアジサイの鉢植え、地植えが家々の戸口を彩っていたが、同じ冬、クリスマス前後に再び行ってみると、夏に見たアジサイがカサカサになりながら相変わらず咲いていた。花は紫、淡紅色のままだったという。このアジサイは西洋アジサイで、杉本は「われわれが見なれた花とは、だいぶ趣が違っていた」と書いている。だが、最近は西洋アジサイは日本でもよく見かけるようになった。

 先日、千葉県多古町あじさい公園(遊歩道)に行く機会があった。この公園は、2013年の7月に死んだわが家の飼い犬・hanaが最後に家族と一緒に遠出した場所である。遊歩道を歩いていて、あと1カ月余でhanaが死んで丸2年になることを思い出した。  

 アジサイを愛した有名人の忌日を紫陽花忌と呼ぶ。俳人の水原秋櫻子(7月17日)や昭和の人気俳優だった石原裕次郎(同日)、作家の林芙美子(6月26日)、映画評論家の津村信夫(6月27日)らの忌日がそうだという。hanaの命日は7月30日なので紫陽花の時期とはややずれているが、7月という大枠のなかで紫陽花忌と呼んだらどうかと思ったりした。

 アジサイの花を求めて 道の駅の川沿いを彩る心の花

 ことしの花は寂しい アジサイを見に行く

 憂鬱な季節でも 梅雨には読書を