小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

745 「四十一番の少年」 孤児院で育った井上ひさしの自伝的小説

画像 作家の井上ひさしが75歳で亡くなって8カ月が過ぎた。いつだったか確かなことは忘れたが、JR鎌倉駅西口を出て源氏山公園の方に歩いていたら、どこかで見た顔の人が「ちょこちょこ」という感じで背中を丸めて歩いていた。それが井上ひさしだった。

 彼は千葉の市川から鎌倉に移り住んでいたようだ。それは数年前のことなので、とうに70歳は過ぎていたはずだ。 井上ひさしといえば、小説、戯曲ともユーモアあふれる作品が中心だが、文庫になった「四十一番の少年」(表題作など3つの短編集)は異質な分野に属する。

 山形県で生まれた井上ひさしは多感な少年時代を仙台市内の孤児院(児童養護施設)で送っているが、この作品はその孤児院を舞台にした自伝的小説であり、ユーモアとは無縁な暗くて過酷な世界を描いている。

 孤児院には「洗濯番号」という制度があり、下着など汚れものを自分の番号を書いてふろ場にある大かごに入れておくと、洗ったものが戻ることになっていた。四十一番を割り当てられた少年が十五番の年長の少年によって危うく「幼児誘拐殺害事件」の共犯にさせられそうになるのが表題にもなった「四十一番目の少年」だ。

 さらに定時制高校に通う先輩のいじめに遭いながら、中華料理屋でつらい日々を送る弟を救おうとする「汚点」(しみ)、孤児院に引き取った弟と一緒に夏休みに祖母の家に行き、一晩だけ泊まって書き置きを残して帰ってしまう「あくる朝の蝉」という短編も救いのない少年の姿を記している。

 こうした幼少期の体験を、書いてしまう(あるいは書かざるを得なかった)作家という職業のすごさ、せつなさを痛感する。この作品が単行本になったのは1973年で、同じ年に発売された仙台の高校を舞台にしたパロディ的色彩の濃い青春小説「青葉繁れる」と比べ影が薄いが、双方を読むと井上ひさしの人格形成に大きな影響を与えた少年期の姿が想像できる。

 井上ひさしは、孤児院で笑いとは縁の薄い少年時代を送ったからこそ、笑いの文学に傾倒していったのではないか。3つの短編を読んで、そんなふうに考えた。