小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1454 大震災・原発事故を生き抜く 悪漢から逃れる薄幸の少女「バラカ」

画像 桐野夏生の新刊『バラカ』(集英社)に描かれる日本は、悪い奴が跋扈している。大震災の前と後の日本社会。日本にきていた日系ブラジル人同士の両親から生まれ、「バラカ」と名付けられた女の子の数奇な運命を軸に物語は進行していく。そこに描かれる、悪い奴がのさばる社会の姿は、現代日本とそう変わらない。

 両親が移り住んだ中東ドバイで人身売買組織の手に落ちたバラカは、子どものいない日本の女性編集者に買われ、日本に戻ってくる。そして大震災。日本は首都が東京から大阪に移るほど福島の原発事故によって甚大な被害を受ける。バラカは原発事故後の日本社会で、どんな運命をたどるのか……。

 原発事故によって福島の子どもたちの甲状腺がんが不安視されているが、バラカ自身もこの病気に罹患し喉にはその手術痕もある。バラカはカズオイシグロ著『わたしを離さないで』を愛読する少女である。

 バラカを警戒区域で保護し、育てた老人から巧妙に奪い、軟禁して利用するのは原発事故を足掛かりにして生きている悪漢だ。女を蹂躙し、平然と人を殺す男である。この男に関わった多くの人が死に、不幸になる。桐野は自分の小説について「イシグロの小説の端正さは、時には荒々しい私の小説と少しタイプが違う」(3・6日付朝日)と述べているが、『バラカ』もたしかに荒々しい小説である。

 数多い登場人物も一筋縄ではいかない人物が多く、味方のはずの人に裏切られることも珍しくない。それでもバラカは生き延びる。 この小説の主人公は、もちろんバラカという少女である。同時に私は、悪漢を隠れた主人公として読んだ。悪魔のような心の持ち主の男が、作品の中で重要な役割を果たしているからだ。

 桐野はこの男の末路である自殺の場面をややあいまいに描いている。男は死ぬ間際「俺が死ぬのは、もう終わるからだ」「この世が終わるんだ。日本が終わる」と話すのだが、なぜ終わりなのか、よく分からない。

 震災直後、日本の多くの文学者たちはその惨状に戸惑い、文学作品を書くことにためらいを見せ、ドイツの哲学者アドルノ(1903~69)の「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉を当時の日本社会に当てはめ、意識した人は少なくなかったようだ。

 あれから5年。震災と原発事故をテーマにしたフィクション、ノンフィクションが次々に発表され、震災後の日本社会の在り方が文学者たちの一つのテーマになっている。その一方で、先進国といわれるこの国は、桐野の小説の世界のように薄ら寒い社会になりつつある。

 チェルノブイリ原発事故に遭遇した人たちの聞き書きである『チェルノブイリの祈り――未来の物語』(岩波現代文庫)で、著者のスベトラーナ・アレクシエービッチは「チェルノブイリは私たちが解き明かさなければならない謎、(中略)チェルノブイリは私たちをひとつの時代から別の時代へと移してしまった」と書いている。福島原発事故も同じ状況にあるように思えてならない。

165 小説から学ぶ人間の根源 アフリカの瞳 わたしを離さないで

926 言葉の海に生きる 震災を語る2冊の本

1429 続・風景との対話 読書について