小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1038 大義に生きる歴史上の人物 冲方丁の『光圀伝』

画像 本屋大賞を受賞した『天地明察』(囲碁棋士で天文暦学者の渋川春海)を書いた冲方丁(うぶかた・とう)が、再び同じ江戸時代に生きた徳川光圀を主人公にした『光圀伝』という歴史小説に挑んだ。

 「大義」という言葉をテーマにした大著を読み終えて、助さん、格さんとともに諸国(全国)を漫遊して悪を凝らしめたテレビや映画の「水戸黄門」とは異なる、強烈な個性を持つ歴史上の人物の存在に爽快感を持った。

  大義とは何か。辞書には「重要な意義。大切な意味。人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対してなすべき道」(広辞苑)、「人間として踏み行うべき最も大切な道。特に、国家・君主に対して国民のとるべき道をいうことが多い。重要な意義。大切な意味」(大辞林)―とある。

  大義を生きる指標としているに光圀は、長男がいるにもかかわらず、三男の自分がなぜ、水戸徳川家の二代目に選ばれたのか思い悩み、大義を貫くには何を行うべきかを考え続ける。その結果、行き着いたのは兄の松平頼重(讃岐高松藩主)の子と自分の子をそれぞれ互いの養子にして後継藩主にさせるということだった。

  史実として残る重臣、藤井紋太夫刺殺も光圀が考える大義とは何かを解く重要なキーワードとして描かれている。重臣殺しは冒頭に描かれており、忠臣として引き立てた人物をなぜ殺害したのか、その動機が最後になって明かされる。その構成がミステリー色を帯び、この本の面白さを引き立てているといっていい。

 『天地明察』もそうだったが、この本でも光圀を取り巻く登場人物たちが多彩である。宮本武蔵山鹿素行、読耕斎という林羅山の息子、さらに幕府の中心・会津藩の名君保科正之正室泰姫…と、個性と魅力にあふれた人物たちが少なくない。若い時から文芸の才能があった光圀は、詩歌で天下を取ることが夢であり、それが大事業となる「大日本史」編纂へと駆り立てる原動力になる。

  光圀が生きた時代、江戸城天守閣も燃え、3万人―10万人が焼死したといわれる明暦の大火(1657年3月)が発生した。冲方はこの大火についても触れている。その惨状表現は、今回の大震災を思い起させる。

 例えば、こんな記述―。

≪焦土に倒れて動かぬ、おびただしい数の焼死体の間をさまよい、はぐれた家族を求める悲痛な人々の姿があった。見渡す限りの死の光景である。そしてその空を、生者の魂をついばむ黄泉の国の鳥が、何羽も飛び交いながら歓喜の声を上げている…≫

 東日本大震災の被災地でも「死の光景」が広がっていたことを忘れることができない。

  冲方大日本史という史書の編纂を進める光圀の思いを最後に書いている。

 《史書は人に何を与えてくれるのか?その問いに対する答えは、いつの世も変わらず、同じである。突き詰めれば、史書が人に与えるものは、ただ一つしかない。それは、歴史の後にはいったい何が来るのか。と問うてみれば、おのずとわかることだ。人の生である。連綿と続く、我々一人一人の、人生である》

  温故知新(故きを温ねて新しきを知る)という言葉がある。歴史小説を読む醍醐味は、まさにこれだと思う。史実に沿ったという光圀伝は、虚像として人気を集めた人物の実像が小説の題材として耐えられるだけの魅力を持っていることをアピールしたといえる。それにしても分厚い本で、仕事用のかばんに入れて持ち歩くのは重かった。それでも冲方は、今売出し中であり、彼の本は売れると出版社は判断したのだろうか。

  冲方は、東日本大震災のあと福島市の自宅から、母親と妹夫婦が暮らしている北海道池田町に家族(妻と息子)とともに一時避難した。現在家族は東京に移り、冲方は東京と福島を往復しながら執筆活動をしているという。北海道に一時避難した当時、地元の十勝毎日新聞のインタビューに答え、冲方は復興に必要なこととして次のように語っている。震災から1年8カ月、冲方の不安が現実になりつつある。

 ≪被災者は経済活動が可能な地域に一刻も早く移住することを考えるべきだ。まちを捨てるのではなく、復興させる力を全く新しく手に入れねば。元の生活に戻ろうとして戻れないのが、一番人の心を疲れさせる。心配なのは、生きる希望を失った避難者の自殺や病死だ≫