小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1070 こんな村で住みたい「神去なあなあ夜話」 年末年始の本(2)

画像 日本の方言は含蓄のあるものが少なくない。原発事故で全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村では「までい」という言葉がよく使われる。「までいに」といえば「丁寧に」「じっくりと」という意味だ。 この小説の題名の一部にもなっている「なあなあ」という言葉は、作者の三浦しをんが創作した方言で、小説の舞台である三重県神去(かむさる)村という架空の村の住民たちが使っている。

「ゆっくりいこう」「まあ落ち着け」というニュアンスがあると、三浦は書いている。 この作品は、2009年に出版された「神去なあなあ日常」(徳間書店、後に文庫化)の続編だが、「日常」を読んでいない読者でも登場人物たちのプロフィールがさりげなく再現されているので、違和感なく読むことができる。

 三重県の奥深い山村を舞台に、横浜の高校を卒業してやってきた主人公が村の人たちと林業に取り組む話だ。前作が「日常」だったの対し、今度は、「夜話」という題が入っているように、神去に慣れた主人公の恋の話も織り込まれていて、肩の凝らない娯楽小説になっている。

 林業は斜陽産業といわれて久しい。しかし、三浦が描く神去という架空の村の日常は後ろ向きではない。辞書作りに挑む人たちを描いた「舟を編む」でも軽妙な筆致が冴えていたが、こちらはそれを上回るものがあり、若い人たち林業という仕事を再認識させる力を持っている。多くの日本人になじみが薄くなっている林業をテーマにした、三浦の小説家としての着眼は鋭い。

 この本を読んで、私が小さいころ祖母の弟が1年に何回か東京からやってきて、私の家の山に入り、下草を刈り、木を整える作業をやっていたことを思い出した。私は彼を「東京のおじさん」と呼び、尊敬していた。

 ガス会社を定年退職したおじさんは、定期的に現れ、数ヵ月単位で山仕事をする。朝夕には仏壇に向かって経をあげ、夜は一合の酒を飲んで早めに床に入った。言葉数の少ない、頑固一徹の明治男だった。

 神去の人たちも個性的な人たちばかりだ。高校を卒業したらフリーターで適当にやっていこうと思っていた主人公は、なぜか神去の林業会社に就職(というより、無理にさせられ)し、出会った個性豊かな村の人たちに鍛えられて成長していく。こんな人たちが住む村があったなら、住んでみたいと読者は思うだろう。

 実は、日本の地方には神去以上に魅力ある土地が少なくないのではないか。特に東日本大震災の被災地・東北はそうだったはずだ。過去形で書くのは、そうした村々が大震災と原発事故によって崩壊してしまったからだ。それは架空の話ではなく、現実の日本の姿なのである。(続く)

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(冬の朝の光景)