小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1043 人間のつながり・悲しみ・不屈の闘志 映画・北のカナリアたち・黄色い星の子供たち・天地明察

画像 最近、相次いで3本の映画を見た。邦画(「北のカナリアたち」「天地明察」)2本、洋画(「黄色い星の子供たち」)1本だ。 3年前、話題になった「告白」という湊かなえの小説は現代の「負」を強調した作品だった。その作者の短編集「往復書簡」の中の「20年後の宿題」が原作とはいえ、吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」は、出口のない暗い映画ではなかった。

 サユリスト吉永小百合の熱狂的ファンのことらしい)ではないが、北海道が主な撮影地と聞いて、映画館に足を運んだ。最近の彼女の映画では、一番心に響くものがあった。 原作は読んでいない。

 湊の「告白」を読んで、この作者の作品は2度と読むまいと心に誓ったからだ。大げさかもしれないが、負を強調しすぎていて、読後感が最悪だったからだ。(湊は読者がそういう感想を持つことを意識して書いたらしい)

 原作をアレンジしたとはいえ、映画のストーリーも明るいとはいえない。が、結末は救いがない「告白」とは違っていた。

 元教師の吉永が図書館司書として定年を迎える。20年前に別れたかつての島の分校の教え子6人のうちの1人が殺人事件を起こしたことをきっかけに、吉永はかつての教え子たちを訪ねて歩く話だ。そのやり取りの中で分校時代が再現されていく。

 分校の子どもたちの歌と吉永の夫役、柴田恭平の海での事故死がこの映画のキーワードになっている。礼文、利尻という北海道の自然がふんだんに出てくるのも大きな魅力だ。 湊は、この映画を紹介するテレビ番組でこんな話をしていた。

「私の作品は、これまで負の方向に突き進む話だった。最後に光が差す方向に話に初めて向かったのが『20年後の宿題』で、(映画からは)それぞれの20年を経て教師と生徒が再会したんだなということが伝わってきて、私の書きたかった先生と生徒のつながりと重なる部分があった。吉永小百合さんからは女性として、人間として大きく包み込んでくれるような新しいイメージをもたせてもらった。これが映画だと思った」 彼女の言う通り、ラストシーンでは「救い」が用意されていた。

北のカナリアたち」の前に、フランス映画「黄色い星の子供たち」(ローズ・ボッシュ監督、メラニー・ロランジャン・レノ出演)と「天地明察」(岡田准、宮崎あおい出演)を見た。前者はナチス占領下時代の第二次世界大戦中のフランスで、ユダヤ人1万3000人が一斉に検挙され、ドイツの強制収容所に送られた実話に基づく映画だ。 この中には4501人の子供も含まれていたが、1人も帰還することはなかったという。

 ナチ占領下のパリでユダヤ人は、黄色い星のマークが入ったバッチを付けることが義務付けられていた。ナチスにおもねったヴィシー政権による差別政策は、強制収容へと突き進んでしまう。にもかかわらず、フランス政府はこの事件を1995年まで政府の責任とは認めなかった。 かつてのソフィア・ローレンが演じた映画「ひまわり」と同様、戦争(あるいはこの映画では狂信的リーダー)にほんろうされる人間の悲しみを訴えている。北のカナリアたちもそうだが、この映画でも子役たちが光っている。

天地明察」の原作は本屋大賞になった冲方丁の同名の小説だ。江戸時代の幕府お抱えの囲碁棋士で天文暦学者、渋川春海の日本初の国産暦を生み出す話である。 この映画が封切りになったあと、ips細胞の研究で京大の山中伸弥教授がノーベル医学・生理学賞を受賞することが決まった。2人に共通するのは挫折、失敗を繰り返してもあきらめない不屈の闘志があり、ユニークな発想ができることだ。それは、いまの日本人に一番求められていることなのではないかと思われる。