小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1014 福島の現状は? 原発事故から子どもを守る闘い続ける知人

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 東日本大震災から1年半が過ぎたが、復興は牛の歩みよりも遅いと感じる。特に天災に加え原発事故という人災に見舞われた福島は深刻さを増している。そんな中で、地域にホットスポットを抱える北部の伊達市が小学生を対象に教育の場を一時県外に置く「移動教室」をやっていると聞いた。移動教室に携わっている知人の宍戸仙介・富野小校長から、その内容がインターネットに掲載され、ユーチューブでも見ることができるというメールが届いた。

 福島県では原発事故に関連し、全県民の健康調査を実施している。今後、長期にわたってこの調査を続行するが、子どもたちへどのような影響が出るのか軽々な予測はできない。伊達市の移動教室は新潟県見附市の協力でことし5月から始まり、伊達市内の21校中9校の5、6年生が見附の小学校に3泊4日程度で体験学習をしており、10月まで続くという。

 宍戸さんが校長を務める富野小は、ホットスポットの学校に比べれば、放射線量は低いとはいえ、屋外での活動は制限されており、昨年は学校のプールも使えなかった。そんな環境で暮らす児童たちは短い県外での生活をどのようにすごしたのだろうか。以下は宍戸さんが発行している「至誠」という学校便りの文章だ。

《6月26日(火)から29日(金)までの3泊4日で、本校5・6年生が、新潟県見附市の田井小学校に移動教室に行ってきました。宿泊は、寺泊港の近くの「海海ハウス」という施設でした。

 1日目は、夕方、海海ハウスの道向かいの海岸で砂遊び。2年ぶりの海での遊びに喜びの声を上げ、小さな魚や小さなカニと戯れていました。打ち寄せる波から逃げようと、転んでしまい、ずぶ濡れになりながら、みんなで大笑いでした。屈託のない遊び姿に、本当の子どもの姿を、久しぶりに見た思いでした。そして、その夜に開かれた、地域の方々の歓迎の心が伝わって来ました。

 2日目、いよいよ、田井小学校訪問です。35名の子ども達と先生方10数人が、校舎正面で出迎えてくれました。3階建ての広々とした立派な校舎に驚きました。富野小学校の子ども達と先生方用の一人一人の下足箱、学習室、先生方の控え室の準備、昇降口に作られた田井小の子ども達の手作りの歓迎の看板・掲示板、食堂で一緒に給食を食べるために準備された一人一人の席、地域の読み書かせボランティアの方々6名によるとっても楽しい絵本の読み聞かせ、それぞれの活動への細やかな心温まる気遣いに、思わず胸が熱くなりました。

 午前中は田井小学校の子ども達と一緒のプールなどの活動、そして、午後はEボート(人々が気軽に川や湖、沼などに集まり、交流するための10人乗り程度の大型のゴムボート))体験や伝承館見学など本当に充実した4日間でした 最終日のお別れ式のあと、子ども達が帰りのバスに乗り込もうとすると、田井小の子ども達が駆け寄り、「また会おうね」「絶対、忘れないよ。忘れないでね」と、互いに肩を抱き合う姿に「さあバスに乗るよ」と声をかけるのがつらく思えた瞬間でした》(至誠、7月2日号より)

 宍戸さんは、移動教室について「6月に衆院を通過した被災地子ども支援復興法の具体的な施策として盛り込んでもらえるよう働きかけることはできないかと考えております。多くの方々に、富野小の子ども達の様子を見ていただき、福島県からの『叫び』として、『波』『渦』のように広げられないかと考えております」と、メールを結んでいる。

 宍戸さんは来年3月で教職生活の定年を迎える。教職生活の集大成として、原発事故から子ども達を守る闘いを続けている。 (9月も中旬。このところ西の空には美しい夕焼けが出現することが多い)