小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1007 山頭火と高倉健 映画「あなたへ」を見て思うさまざまな人生

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「このみちや いくたりゆきし われはけふゆく」(注=筆者。この道は、多くの人々や人生が行き交っている。私はその人生をきょうも歩いている) 作者は放浪の俳人といわれ、無季自由律俳句(句の中に季語を入れない)で知られる種田山頭火である。

 歌人若山牧水の「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」と、相通ずる旅への思いが伝わる句だ。

 80歳を超えた(1931年2月16日生まれ=私も同じ日が誕生日=だから現在81歳)高倉健が主演した「あなたへ」という映画のラストシーンにこの句が出てくる。 人生は旅によく似ているといわれる。この映画を見てそうだと実感した。

 亡き妻(田中裕子)の遺言に従ってその遺骨を散骨するため、富山から長崎県平戸まで車で旅をする嘱託の刑務官(高倉健)の話だ。旅の途中に個性ある人物たちと出会い、曲折を重ねながらも目的を果たすのだが、山頭火の句がこの映画のキーワードとしても使われている。

 旅で最初に出会ったのが、ビートたけし演じる自称、元国語教師。実は車で旅をしながら車上狙いを続けている男なのだが、高倉健と出会い、山頭火を口にする。「このみちをたどるほかない草のふかくも」。その句集である「草木塔」を高倉に渡す場面もある。 旅の途中に美しい西日本の風景が映し出される。

 中でも「天空の城」ともいわれる兵庫県朝来市竹田城跡の映像は出色だった。そこで田中裕子が宮沢賢治作詞、作曲の「星めぐりの歌」を歌うシーンの回想がある。天空の城と田中の歌のうまさにただただき驚きながら、画面を見つめた。

 きょうは8月最後の31日。平日の午後にもかかわらず、この映画が上映された場内は満席に近かった。高倉健が私を含めた人たちを集めたとしたらやはりただものではない。だが、映画を見ながら高倉健という偉大な俳優が老いと戦う姿にいたましさを感じた。たぶん、彼が演じるのは60歳を過ぎたばかりの男であり、かくしゃくさはまだ失われていないはずだ。

 だが、一途に演技する高倉健の顔、体、歩き方、手のしみからは「老い」を隠すことはできなかった。 それでも、やはり高倉健であり、観客の多くは高倉健の年齢を承知のうえで、映画館に足を運んだのだろう。私も映画を見て久しぶりに余韻に浸った。この映画の撮影中、高倉健は新聞に掲載された東日本大震災の被災地で生きる少年の写真をいつも持っていたという。

 それを知って、彼のこの映画にかける思いが分かった。 この映画に出て来る山頭火は山口出身だ。JR新山口駅前にある彼の銅像には「まったく雲がない笠をぬぎ」という句が刻んである。昭和5年の放浪の際、晴天の下で、網代笠をとり、ひと休みしたときに詠んだものだそうだ。

 この夏、九州・平戸から山口への旅の途中、山頭火銅像に接した。旅と放浪の違いは、帰る場所がある(旅)か、ない(放浪)かだと、映画の中でビートたけしが講釈していた。放浪とはいかに寂しいものであるか、それでいて心が解放されたものであるか、旅を日常的にしている私には何となく分かるような気がするのだ。 刑務官である高倉健演じる主人公は、妻の散骨の目的を通じて受刑者が外部と連絡をひそかに取ることの隠語である「伝書鳩」と同じような役割も果たしている。

 この映画は何組かの人生も描いており、山頭火とともに「伝書鳩」ももう一つのキーワードなのだが、ここでは書かない。

 写真 新山口駅前の山頭火銅像 923 震災の不条理訴える2枚の写真 高倉健さんが持ち歩く宝物とは