小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1848「昨日も今日も、そして明日」も 歩き続けること

 

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 このところ、かなりの距離を歩いている。スマートフォン歩数計アプリを見ると、正月三が日の歩数合計は5万歩だった。出かけることが多かったから特別だが、12月の1日当たりの平均は1万歩を超えている。歩くことは体調管理だけでなく物を考えるのに役立つから、寒い朝も苦ではない。

「私は歩いた、歩きつづけた、歩きたかったから、いや歩かなければならなかったから、いやいや歩かずにはゐられなかったから、歩いたのである、あるきつづけてゐるのである。きのふも歩いた、けふも歩いた、あすも歩かなければならない、あさつてもまた。――」  

 これは無季 自由律俳句(句の中に季語を入れない)で知られる放浪の俳人種田山頭火の「歩々到着」(ちくま文庫山頭火句集』より)という短文の随筆に出てくる言葉である。それほどに、山頭火は自分の足で各地を歩いた。この随筆の最後に山頭火は「どうしようもないワタシが歩いてをる」と結んでいるが、健脚がなかったら、放浪の俳人はいなかっただろう。山頭火が歩いた距離は想像するしかないが、途方もない距離に違いない。  

 歩くというキーワードで浮かぶのは、松尾芭蕉だろう。「奥の細道」を記した芭蕉は、約150日をかけて江戸から奥州、北陸道を経由して江戸に戻るという行程、約2400キロ(600里)を歩いた。現代人には「信じられない」という表現が適切な健脚ぶりである。現代は車社会だから、芭蕉ら昔の人に比べ現代人は歩くことが少ないことは間違いないだろう。  

 百科事典を見ると、アメリカで始まった体力と健康増進のための歩くことを奨励する運動が、1964年の東京五輪のあと、日本でも普及したという。私が住む街には1周6・4キロの遊歩道など、あちこちに遊歩道があって、歩く人の姿が絶えない。私のその一人である。朝のラジオ体操前後に歩き、さらに犬の散歩、朝食後、昼食後にと機会を見て外に出る。すると、歩数計は1万歩を超えるのだ。  

 冒頭、三が日の歩数が5万歩だったことを書いた。毎年車で出かけていた寺への初詣でのほか、東京・谷中の「七福神めぐり」に行き、田端から谷中、上野を歩いたからいつもより歩数が多かったのだ。それはそれとして、山頭火流に言えば、昨日も今日も歩き、明日も、明後日も歩くだろう。  新年おめでとうございます。ことしも「小径を行く」をご愛読ください。

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