小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1944 柿を愛する人は「まっすぐな道でさみしい」

DSC_0384 (2).JPG

 少し寒さが増してきているこのごろ。とはいえ、いい季節であることは間違いない。さすらいの自由律句の俳人種田山頭火の句を読む。「何おもふともなく柿の葉のおちることしきり」。葉が落ちて赤い実だけの柿が目立つようになった。柿を含め、果物もおいしい季節である。山頭火が道端にある柿の木から実を取って、食べながら歩く姿を想像する。  

 山頭火は、大飯食いだったそうだ。「とにかく食う。モリモリ食う。ガンガン飲む。酒を飲み、水を飲み、『水飲んで尿(しと)して去る』とうそぶいて57年の生涯を閉じた」(嵐山光三郎文人悪食』・新潮文庫)。嵐山によれば、アメリカで一番親しまれている俳人芭蕉ではなく、山頭火なのだそうだ。アメリカの俳句愛好者に人気がある山頭火の句は「まっすぐな道でさみしい」(英訳・This straight road ,full of loneliness)だという。まっすぐな道。うーん、そうだね。道は曲がりくねっていた方が、歩く楽しみがあるな。  

 2020年。山頭火のようなさすらい人には、ますます生きにくい年になっている。そして、コロナ禍。緊急事態宣言による、経験したことがない自粛生活。一時飲食店から客の姿が消え、危機に瀕した店は少なくない。近所でもあの店、この店が閉店した。あの人たちはこれからどう生きていくのか。そんな中でも、この国のリーダーは夜の時間も前任者を継承したかのようで、グルメ三昧の日々……。あれも結構つらいのではないかと、同情するのは野暮か。  

 今日は10月31日、残すところことしも2カ月。遊歩道の街路樹、けやきの葉が急速に色づき始めている。赤と黄と……。昨年と一昨年、2年続きで私が住む千葉は台風に襲われた。けやきの葉は塩害で茶色に傷付き、早々に落下した。幸運なことに、今年は台風が列島に上陸しなかった。けやきたちも平穏な日々を送り、鮮やかな紅葉の風景を見せてくれている。この道を歩く人には、憂い顔は見えない。近所の柿の実も陽光に照らされ輝いている。  

 冒頭に紹介した山頭火は「柿」という短い随筆を書いている。山頭火の柿好きがよく分かる文章だ。以下はその抜粋。  

《前も柿、後も柿、右も柿、左も柿である。柿の季節に於て、其中庵(注・ごちゅうあん。山頭火が生まれ故郷防府に近い小郡町矢足=現山口市=に結んだ庵のこと)風景はその豪華版を展開する。  

 今までの私は眼で柿を鑑賞してゐた。庵主となって初めて舌で柿を味わった。そしてそのうまさに驚かされた。何といふ甘さ、自然そのものの、そのままの甘さ、柿が木の実の甘さを私に教へてくれた。ありがたい。 (中略)柿の実については、日本人が日本人に説くがものはない。るいるいとして枝にある柿、ゆたかに盛られた盆の柿、それはそれだけで芸術品である。 (中略)柿は日本固有の、日本独特のものと聞いた。柿に日本の味があるのはあたりまへすぎるあたりまへであらう。   

 みんないつしょに柿をもぎつつ柿をたべつつ 》

 私も果物の中で、柿は好きな方だ。わが家の庭にも、植えてから20年以上の「身知らず柿」がある。この柿は実がたくさんなる年とならない年を繰り返す「隔年結果」が顕著だ。私は「気まぐれな柿」と呼んでいるのだが、手入れ不足が原因だから、柿にとっては不本意な呼ばれ方に違いない。今年は不作で、数えてみたら実は3つしかなく、そのうち2つはやってきたヒヨドリたちに食べられてしまった。山頭火なら、この体たらくを見て苦笑いするかもしれませんね。

IMG_1475.jpg
 
IMG_1498.jpg