小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1005 10歳でも1000キロは歩けるのだ ビクトル古賀の半生

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 サンボという格闘技があることは知っていたが、かつてサンボの神様といわれた人物がいたことは石村博子著「たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く」(角川文庫)を読むまで全く知識にはなかった。

 たまたまこの本の前に、マーク・トウェインの「トム・ソーヤの冒険」(柴田元幸訳)を読み返したばかりだった。ノンフィクション作家の佐野眞一が石村の本について「家族とはぐれてたった独りで満州から引き揚げてきた少年の奇蹟的な逃避行がトム・ソーヤの冒険を彷彿とさせるタッチで生き生きと描かれている。ここで描かれている世界はあくまで明るく、影ひとつない」と述べているように、これまで出された旧満州からの引き揚げの記録と異なる異彩を放つ作品といえる。

  ことしで戦後67年になった。太平洋戦争・日中戦争が終わって長い年月が過ぎても依然として中国、韓国とは微妙な関係が続いている。それだけ、戦争の傷跡は深いのだ。

 旧満州からの引き揚げの記録は数多く、悲惨な内容がほとんどだ。この本の主人公であるビクトル古賀は、旧ソ連国境に近いハイラル(30年近く前に訪ねたことがある)で日本人の父とコサック(かつてのロシアの農民集団)の血を引くロシア人の母との混血児として生まれる。ソ連が8月9日に旧満州へと攻め入った当時、彼は10歳だった。家族とはぐれ、一緒に引き揚げてくれるはずの日本人からも追い払われて、目的地の錦州まで、2カ月をかけてほぼ独りで歩き続け、親戚の人たちと合流、父親の故郷である福岡の柳川にたどり着く。この本はこの厳しい逃避行を、丁寧な取材で再現したものだ。

  石村はサンボのことよりも、強い生命力で生き延びた10歳の古賀少年の逃避行に焦点を当てている。その姿は、トム・ソーヤと重なるものがあって、引き揚げの記録というよりも「少年のひと夏の冒険談」といっていい。

「煙の具合でロシア人がいるか中国人か判断できる。中国人の家の煙は牛フンや馬糞を燃料にしているので独特の重たい感じ。白樺や石炭を燃やしているロシア人の家の煙は軽くてまっすぐ立っているし、ロシア人は毎日パンを焼くから人が住んでいればかまどの煙が上がる」という古賀少年は、中国人の家には危険を察知して近づかなかった。

 「川の岸辺では獣の足跡を確かめ、糞を見つけたらチェックして動物の種類やどれくらい前のものか様子を見る」「大人の身長より、高い木が生えているところを流れているのはいい水で、岸辺に木が生えて流れはゆるやか、川を覆う木の影に魚の姿がいっぱい見えるとこならそこは素晴らしい。上流から流れてくるブルーベリーが草むらに流れ着く直前の水はとてもいい」(いずれも佐野が感心した生活の知恵)。

  10歳の子どもがこれらのことを知っていたのだから驚く。コサックとしての生活習慣を祖父から受け継いだことが、少年の単独での逃避行が可能になった背景にあったのだろう。

  後年、ビクトル古賀という名前でサンボの選手として41連勝の記録をつくり、不敗のまま引退し、旧ソ連から自由主義国の人間として初めて「ソ連邦功労スポーツマスター」の称号を受け、さらにソ連邦スポーツ英雄功労賞を受章した古賀。「人生で輝いていたのは10歳、11歳くらいまで。旧満州にいた日本の子どもはひ弱だった」と少年時代を振り返っている。現在の日本の10歳くらいの子どもたちは、輝いているのだろうか。ひ弱さから抜け出しているのだろうか。