小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

971 バラが咲いています 花を愛する人に悪人はいない?

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 バラがあちこちで咲いている。散歩が楽しい季節である。美しいバラを庭に咲かせているのはどんな人なのかと想像する。花を愛する人に悪人はいないはずだ。民間企業から大学の教授になった人を知っている。この人の同僚がこんなことを言っていたことを忘れることができない。

「大学の先生は、性格が悪い人でもできる時代なのですね」。 広辞苑を引くと、学者の項には「学問にすぐれた人。学問を研究する人」とある。

 学問にすぐれた人というのは単に専門分野の学問に詳しいだけでなく、人間的にもすぐれていなければならないのではないか。それが「先生」といわれるゆえんだと思う。しかし、民間企業から教授になった人物は企業在籍当時、自己の利益のために動くスタンドプレーが目立ち、同僚から嫌われ続けた。

 それでも学者になれたのは、彼が目指した分野を研究する学者が少なかったからだろう。彼が大学に迎えられた時、同僚たちは驚き、冒頭のような感想を漏らす人もいたのだ。 こんなことを書くには、理由がある。

 内閣府原子力委員会核燃料サイクルの在り方についての議論の過程で、電力会社をはじめとする推進派だけで非公開の会議を開き、それを基に報告書案を都合のいいように書き換えていたことが、毎日新聞の報道で明らかになったからだ。福島原発の事故があった後も、この委員会は体制が変わらないまま、事務局には電力会社からの出向者が残っており、原発推進の姿勢を維持し続けているという。

原子力ムラ」という言葉が定着し、ムラの有力メンバーの学者たちが、自己の利益のために電力会社と癒着していた実態が次々に浮かび上がっている。それにもかかわらず、原子力委員会はこっそりとこんなことをやっていたのだから厚顔そのもので、社会的には一流になったとしても人間としては、二流、三流の人たちの集まりなのかもしれない。

 そんな原子力ムラの実態を伝えている朝刊に、東京電力の会長を間もなく退任する勝俣恒久氏が、退任後も日本原子力発電の非常勤の取締役を続け、しかもこれまで辞退していた役員報酬(月額10万円)を受け取ることになったという記事が出ていた。国会で、自分のことは棚に上げ福島原発事故の責任は社長と発電所の所長にあると言い切った人物だから、こんな非常識なことができるのだろう。

 さらに、こんなコラムもあった。元経済産業省事務次官の望月晴文氏が6月に原子炉メーカー・日立製作所社外取締役に就任するが、日立は「産業政策の見識を経営に反映していただくことを期待している」と説明しているそうだ。国の原子力政策の推進役だった望月氏に日立が期待するのは、別のものなのかもしれない。

「退官後2年間は関連業界に就職できない」とされていた国家公務員法の規定が法改正でいつの間にかなくなったこともこのコラムで知った。いずれにしても、節操のない人たちが社会のトップにいる時代であることを再認識させられるこのごろだ。