小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

970 谷風、雷電と稀勢の里 失望した大相撲夏場所

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大相撲の夏場所は、意外にもモンゴル出身の平幕力士・旭天鵬が優勝した。37歳という年6場所制になってからの最高齢での優勝だそうだ。途中までトップを走っていた稀勢の里は、終盤で大崩れとなり、4敗もしてしまい、横綱白鵬も何と5敗。大関陣も千秋楽に突然休場した琴欧州らみんなひどい成績だった。なぜこのような結果になったのか、新聞を読んでもよく分からなかったが、その後の情報によると、「八百長」がなくなったことが背景にあるという。なるほどと思った。 角界八百長が発覚したのは昨年の東日本大震災前の2月のことであり、多くの力士が引退勧告などの厳しい処分を受けた。その結果、春場所は中止になり、夏場所技量審査場所という本場所扱いではない無料公開の場所になった。大相撲は国民から見放され、相撲協会は追い込まれた。 八百長全盛時代でも、稀勢の里八百長をしない「ガチンコ力士」(自分の力で相撲を取る)として知られていたそうだ。早くから大器と言われていたにもかかわらず、八百長をしないまっとうな姿勢のため白星をなかなか稼ぐことができず、大関としての相撲はことし初場所からで、今場所は大関在位3場所目だった。 東日本大震災の被災地、宮城県仙台市に「勾当台公園」がある。県庁や市役所がすぐ近く、仙台の中心部に位置する公園だ。この公園の一角に、第4代横綱の谷風梶之介之助(第2代谷風、1750―1795)の銅像がある。その風貌は相撲協会理事長の元横綱北の湖稀勢の里に似ている。北の湖横綱に昇進したあと、谷風の銅像前で土俵入りをした。 ウィキペディアには「優勝20回以上、50連勝以上、通算勝率9割以上を達成したのは大相撲の長い歴史の中で谷風だけである」とある。43歳でも優勝し、44歳の現役のとき、インフルエンザで亡くなったのだが、谷風が不世出の大横綱だったことがうかがえる。 強すぎて横綱にはなれなかったといわれるのは雷電(1764-1825)だ。雷電は谷風の内弟子となり、6年間谷風によって鍛えられ、稀勢の里と同じく八百長の申し入れは拒み、全力を尽くす激しい相撲を信条とした。相撲通によれば、史上最強の力士は谷風か雷電のどちらかだという。 稀勢の里雷電や谷風のように歴史に残る大力士になるかどうか。夏場所の姿を見ていると心もとないが、、この壁を乗り越えれば横綱への道が開け、大力士になる可能性がないとは言い切れない。谷風は人間としての品格にも優れ、白鵬までの史上69人の中でも「横綱中の横綱」と言われている。そんな大横綱は、現代の日本人力士から生まれそうにもない。 写真 「勾当台公園の谷風像