小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

936 政治・メディアに求められる宏大な和解 内部崩壊への備え

 思想家・内田樹(たつる)氏の「日本辺境論」を読んだ人は多いだろう。内田氏は最近「呪いの時代」という本を出した。内田氏によると、最近の日本社会は「自己の正当性を主張し、他人の揚げ足を取って喜び、他者の痛みに思いが至らず、幼稚な論理を振り回す、気持ちが悪くて変な人間が跋扈している」という。

  呪いの時代はそうした憎しみ、妬み、羨望などの言葉がインターネットやメディアで横行する日本社会を論じた内容だ。

  その内田氏の現代政治に関する分析を新聞で読んだ。「政治劣化考」というインタビューで、2月17日付の河北新報に出ていた。その要点を紹介すると―。

 《政治劣化の要因は、外交、内政ともメディアと国民から過度の透明性や分かりやすさを求められ、政治過程が単純化し、深みを失ったことだ。そのために個別政策への賛否が問われるようになり、結果的に政治家はフリーハンドを失い、マニフェストに縛られている。

  橋下大阪市長が率いる大阪維新の会も劣化への倦厭が生み出したもので、選挙に勝って、直近の民意を盾にとって完全なフリーハンドを要求するやり方だ。しかし直近の民意を掲げたせいで、頻繁に選挙を行い、有権者にアピールする新奇な政策を打ち出さなければならない。

  政治は本来ややこしいものだ。国を守るためには譲歩し、譲歩を引き出す複雑な交渉技術が必要だ。交渉過程の透明性は国益上必ずしも最優先しない。

  剛腕は無理やり物事を進めることではない。あちこちに貸しをつくっておいて、いざという時に取り立てができるネットワーク構築力のことだ。何を考えているかよく分からないおじさんのような政治家のことだ。

  アカウンタビリティーをうるさく政治家に求めるようになってから、分かりやすい政策を掲げ、譲歩も妥協もせず、チキンレースでアクセルを踏み続ける強気な兄ちゃんタイプの政治家が世界のリーダーになった。

  政権を取るまでは反対派をつぶす気合いで戦わなければならないが、いったん統治者になったら、反対派も含めて国民全体を代表しなければならない。それが公人の責務だ。

  東日本大震災直後は大連立内閣を立てるべきだった。政権の延命に加担するリスクを冒しても自民党国難に立ち向かう姿勢を示していれば、政治不信や国政停滞への倦厭感もここまで進行していなかった。

  政治の劣化プロセスはまだ止まらないと思う。次の衆院選で橋下市長らが第三極に躍進し政権に入る可能性は高い。しかし、彼がこだわっているのはトップダウンの組織を作り統御することだ。自治体レベルでは可能かもしれないが、国政は給料だけで働くイエスマンでは回らない。高い士気と献身を求めるためにはもっと雄渾で、夢のある国民統合の物語が必要だ。国民に喝采服従だけを求める政治家に国難的状況は担えない。

  行くところまで行って底を打って反転するのが日本の国民性だ。底を打つのはまだ先。激動する国際社会を生き延びるためには、政党もメディアも有権者も揚げ足とりはやめて、挙国一致の宏大な和解を目指す必要がある》

  内田氏の考え方に好き嫌いはあるだろうが、政治劣化の原因についての彼の考察は鋭い。「兄ちゃんタイプの政治家」といえば、大体想像がつく。そんな政治家にだまされてはなるまいと思う。

  紀元前時代、ローマを相手に戦ったカルタゴの戦略家・ハンニバルは「いかなる超大国といえども、長期にわたって安泰であり続けることはできない。国外に敵を持たなくとも、国内に敵を持つようになる。外からの敵を寄せ付けない頑健そのものの肉体でも、身体の内部の疾患に苦しまされることがあるのと似ている」という言葉を残した。グローバル化時代の現代でもこの言葉を打ち消すことはできない。

  イギリスの歴史学者、トインビーも「どんな高度な文明でもいつかは内部から壊れる。それは内部の慢心によるもので、この歴史は繰り返される」と、ハンニバルと似たような文明論を述べている。いまの日本は2人の言葉が当てはまるような状況に追い込まれている。内田氏のいう「挙国一致の宏大な和解」が求められているといっていい。