小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1927「本の表紙を変えただけでは」 理想の政治家像とは

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 「本の表紙だけを変えても、中身が変わらなければ駄目だ」。自民党の総裁選のニュースを見ていたら、こう言って、総理大臣(首相)になるのを固辞した政治家がいたことを思い出した。私は政治家は嫌いだ。だが、当時この政治家の気骨ある姿勢に驚き、自民党にもこんな人物がいるのだと感心した。

 時代は変わって、今こうした政治家の存在を知らない。1989(昭和64)年1月7日昭和が終わり、翌8日から平成がスタートした。前年から続いていたリクルート事件の嵐は各界に影響を及ぼし、この年の4月には事件絡みで竹下登首相が退陣した。後継として浮上したのが当時の自民党総務会長の伊東正義氏(1913~1994)だった。

 伊東氏は福島県会津若松市出身。農林事務次官を経て政界に入り、現役の首相で史上初の衆参ダブル選挙最中の1980年6月に病気で急死した大平正芳氏の盟友といわれた。大平氏が急死すると、官房長官だった伊東氏が首相臨時代理を務めた。社会部の遊軍記者をしていた私は当日、デスクの指示で大平邸に取材に行った。

 虎ノ門病院から戻った遺体が収められた棺のある室内に入ることが許され、関係者の話も聞くことができた。現職の首相急死の取材は、『サザエさん』の作者、長谷川町子さんのインタビュー(内容は忘れたが、長谷川さんの雰囲気がまさにサザエさんそのものだった)とともに、社会部時代の大きな思い出になっている。  

 首相臨時代理を務めた伊東氏の顔はテレビにもしばしば出てきた。その9年後、竹下首相退陣後、首相候補と騒がれた時、「ああ、あの時の臨時代理だった人が今度はやるのか」と思った。当時、竹下氏だけでなく自民党の有力政治家がリクルート事件への関与が取りざたされていたから、質素でクリーンだという評価の伊東氏が浮上ようだ。しかし記者会見で冒頭の言葉を述べ、自民党総裁選への立候補を固辞し、結局田中角栄元首相の派閥、田中派の力で岩手出身の鈴木善幸氏が大平後継に決まった。  

 伊東氏が自民党総裁=首相の椅子を断った背景は、いろいろ取沙汰されている。持病の糖尿病が悪化しているという健康不安説もあり、夫人が伊東氏の健康を気遣って、強く反対したという話も聞いた。同時に、この発言のように首相が代わっても国民のための新しい政治(特にクリーンな政治)ができなければ意味がないと考えたのだろうか。当時の自民党田中派によって牛耳られていたから、角影内閣(メディアは大平内閣、鈴木内閣ともこう揶揄した)になることに嫌気がさしたのかもしれない。いずれにしろ、会津の人らしい頑固さと潔さを感じる。  

 14日に投開票される自民党総裁選で、投票前から菅官房長官の圧勝という下馬評が高い。菅氏は安倍首相の路線を踏襲することを強く打ち出し、政策的に新味はない。伊東氏流にいえば「表紙を変えても、中身は一緒」といえる(枝野幸男氏が新代表に決まった合流新党、立憲民主党もしかり)だろう。政治力学を利用する人、利用される人、時流に乗る人、乗らぬ人、乗れぬ人……。自民党総裁選立候補の3人は、どれに当てはまるだろう。

 かつての同僚でジャーナリストの伊佐木健さん(社会部で国会担当を長く務めた)は『1945年に生まれて』(龍書房)という本の中で、「政治家とは『国民生活のことを第一に考え』て、そのための政策実施を目指す――そういう志を持った者ではないのか。首相というのは、その志を最大限に果たすことができるポジションである」と書いている。その通りであり、公私を混同し利権のために動く政治家は無用なのである。  

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