小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

915 曇りのち晴れの元旦 窓をあけよう

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 朝起きると、雨がぱらついていた。これでは「初日の出」は見ることができないと思った。例年なら初日の出を見るために朝7時前に飼い犬のhanaとともに遊歩道に出ているが、ことしはやめた。

 天気が悪いなら、hanaの散歩はもう少し後にしようと布団にもぐり込んだ。しばらくうとうととした。それでも、やはり気になって窓を開けて東の空を見ると、次第に雲が切れて、光の輝きがのぞき出した。

 いつもの元旦より遅くなったが、娘と一緒に犬の散歩に出かける。太陽が柔らかな日差しで私たちに微笑みかけてくれているようで、寒さは感じない。 2012年になったことを実感する。

 2011年は3・11という未曽有の大震災が起き、心が重い1年だった。だが、人間は強い。届いた年賀状には、それぞれの人たちの思いが記されていた。70歳を迎えて、社会福祉士ソーシャルワーカーの国家資格。精神保健福祉士介護福祉士と並ぶ3福祉士の1つ)を目指すと書いてきた人生の大先輩もいる。

 私はことしの年賀状に江口榛一(1914-1979)の「窓」という詩の一部を引用した。江口は芥川賞候補にもなった作家で、詩人でもあったが、「地の塩の箱」運動というボランティア活動をした。駅周辺に「地の塩の箱」という募金箱を置いて募金を入れてもらい、金に困った人に使ってもらおうという「夢の募金箱運動」だ。 江口はクリスチャンで、聖書から「地の塩」という言葉を思い浮かべたのだろう。

 新約聖書の中には何カ所かこの言葉が登場するという。キリストが弟子や多くの人たちに対し「あなた方は地の塩である(当時塩は高い価値を持っていた)」と述べたのだが、大体こんなふうに解釈されているようだ。「神を信じる者は、腐敗を防ぐ塩のように、社会・人心の純化の模範にならなければならない」「キリストの教えに従ったがために迫害された人は地の塩のように価値がある」。

 現代では「名利を求めず、こつこつと地道に努力し、人の役に立とうとする人々」、つまりはボランティアを指す言葉と受け止めていいのかもしれない。 「地の塩の箱」運動は1956年(昭和31)に錦糸町駅西千葉駅からスタートし、一時は全国で300個以上が設置された。1960年には朝日新聞の「明るい社会賞」も受賞する。 江口の手弁当での運動は次第に行き詰まる。

 23年後の運動の会報に「心が砕けてしまった。このままでは地の塩の箱の船はやがて沈没してしまうだろう」と書いた江口は1979年4月、失意のうちにこの世を去る。

 だが、江口のボランティア精神は江口を知らない世代を含めて現代に引き継がれ、東日本大震災の被災地支援に発揮された。江口が亡くなった時、彼の机の上には「水で目を洗いたまえ 眼が美しくなりたかったら 心もつねに洗いたまえ 水で眼を洗うように」という言葉を書いた色紙が残っていたという。(大石勝男、ボランティアに生きるより) 「窓」という詩は、この言葉と共通する江口の生き方を記したものだと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 窓をあけよう。窓をあけると空が見える。雲が見える。雲は白く、いつも悠々と流れている。

 窓をあけよう。窓をあけると林が見える。冬枯れたその林の向こうに木立が見える。山並みが見える。山並みはいつも変わらぬ姿で横たわっている。

 窓をあけよう。窓をあけると富士が見える。冬晴れの空の下、山並みのはるか向こうに見える。そうして富士はいつも白く光っている。静かに清らかに光っている。

 窓をあけよう。窓をあけると風がはいる。風はいつも新しい。地球をひと回りしてきた風だ。その風を深呼吸のように吸っていると心が空のように広くなる。海のように豊かになる。

 窓をあけよう。もっともっと窓をあけよう。それから心の窓もあけよう。心の窓をあけると何が見える。心の窓をあけると世界が見える。宇宙が見える。神秘な宇宙のいのちが感じられる。

 窓をあけよう。なんでも見えなんでも感じられるように窓をあけよう。きみの ぼくの 心の窓を。(地の塩の箱 133号)

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写真1、アドリア海の朝日 2、自宅から見た初日の出 3、散歩コースの調整池にて