小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1331 貫く棒のごとき生き方 正月雑感

去年今年(こぞことし)貫く棒のごときもの 高浜虚子画像

              エーゲ海の日の出 

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          北海道の友人が描いた私の散歩道の風景 

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         同・北海道に咲くオオバナノエンレイソウ

 毎朝、近所の公園でやっているラジオ体操に参加して1年半になった。40人ほどの参加者は昨年の11月下旬から半減した。寒い期間は遠慮しようという人も少なくないからだ。元旦も休みなく朝の行事は続いているが、3、4日の参加者は11人しかなく、きょう5日になって仕事始めに合わせたかのように、ようやく15人程度まで回復した。

 虚子の句に使われた「去年今年」は、新年の季語である。虚子は旧年・新年の心境を「貫く棒のごときもの」と表現したのだが、解釈はいろいろできるだろう。私は年が改まっても自分流の生き方を貫こうという思いを示したものと受け止める。

「自分流を貫く」という意味では、ノンフィクション作家、沢木耕太郎の小説『波の音が消えるまで』(新潮社)の主人公はそれを体現しようとした人物といっていい。 この作品は、マカオを舞台に、バカラというトランプを使ったカジノゲームに取りつかれた日本人青年が「バカラ必勝法」を追い求め、破滅にまで追いつめられる話である。

 バカラ必勝法は妄想にすぎなかったというのが結論であり、主人公は自分流を貫いたがゆえにどん底にまで落ちる。しかし、バカラで文無しになったこの男は、恋する日本人女性に助けられる。この結末は甘い、というのが私の読後感である。

 ことしは太平洋戦争の敗戦から70年になる。 1945年に生まれ、パーキンソン病と闘いことし70歳になる友人の伊佐木健さんは『1945年に生まれて』(龍書房)という本の中で、戦後の再出発を導いた思想はデモクラシー=戦後民主主義であるとし、それを快く思わない人たちが世の中全体を暗くする恐れが強いと憂えている。

 そして、伊佐木さんは「私はその中でデモクラシー=戦後、民主主義の側に立って、世の中を暗くする動きに抗し続けたい。それが1945年に生まれた者の使命だ、と思う」と決意を書いている。

 伊佐木さん流の自分を貫いた生き方だと思う。 同じ1945年に生まれた知人は、年内にニュージーランドへの留学をする計画を立てている。それも、知的好奇心を維持し続けようという自分流の生き方といえよう。

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