小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

816 若者は虹をかけられるか  「いつかX橋で」を読む

画像 東日本大震災の被災地である仙台市が米軍機の空襲を受けたのは、太平洋戦争末期の1945年7月10日未明のことである。10万人以上の死者・行方不明者が出た東京大空襲からちょうど4カ月目だった。仙台空襲では約1万2千戸が被災し、2755人が死亡、被災者は5万7300人に達した。

 それから65年の歳月が流れ、今回の震災で860人以上の仙台市民が犠牲になった。18歳未満で両親を亡くし孤児になった子どもたちは被災地全体で100人を超えている。そんな子供たちに対しさまざまな支援の動きが出ている。

 しかし、65年前の孤児たちは苦難の道を歩まなければならなかった。 仙台在住の作家、熊谷達也の「いつかX橋で」は、仙台を舞台に戦争孤児たちの不遇な青春を記している。1人は空襲で母と妹を失いながら靴磨きでまっとうに生きようし、特攻崩れのもう1人は愚連隊として裏の世界で生きることを選択する。

 この2人が仙台駅の北側にある「X橋」で出会い、この橋の上に虹をかけることを夢見ながら、苦闘する物語だ。 X橋は長い間、仙台市民の間では近寄ってはならない場所といわれた。東北本線をまたいで広瀬通りと二十人町と鉄砲町を結ぶ橋であり、宮城野橋という名前だが、上から見ると「X」に見えるため、X橋(えっくすばし)と呼ばれるようになったという。

 かつてはアメリカ兵士を相手にした夜の女たちが付近に立ち、私が仙台に住んだ昭和40年代後半まで暗いイメージが消えなかった。2人の物語は不幸な結末で終わるが、仙台は大きく変わった。新幹線が通り仙台駅裏(東側)が再開発され、かつての面影がない普通の都市の姿になったのはご承知の通りだ。

 今回の大震災に関する政府の復興構想会議のメンバーである民俗学者赤坂憲雄学習院大教授がこの本の解説を書いている。その結びで「熊谷さんは3・11以後をどのように生きてゆくのか、どのように作品世界を変容させてゆくのか。たぶん、この人は3・11以後を無傷でやり過ごすことができない作家のひとりだ。(略)東北は変わる。わたしたちも変わる。東北の文学や芸術、そして思想が、その存在理由をむきだしに、根底から問われる時代が、こんなふうにやってくるとは、思いもよらなかった」と記している。

 福島の原発事故は若者から「虹をかけよう」という希望を奪いつつある。変わるのは東北だけでなく、日本全体だと思う。