小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

764 初雪の朝の散歩  美しき日和に・・・

画像

<美しき日和になりぬ雪の上>

 晴れ渡った銀世界の美しさを詠った江戸中期の俳人、炭太祇(たん・たいぎ)の句である。先週、夕張を訪れ、そうした美しい雪景色を見てきた。今朝、起きると、外はうっすらと雪が積もっていた。初雪である。

 このところ、わが家のある関東南部もけっこう寒い。最低気温が氷点下になることもある。日中でも最高気温が氷点下の北海道に比べたら、段違いに暖かいはずだが、人間の体は不思議なもので、冷たい風が吹くと北海道並みに寒さが身にしみるのだ。

 雪が芝生の表面をまぶしたような状態の遊歩道を犬の散歩に出た。犬の吐く息が白い。そんな朝でも、ジョギングをする人たちは少なくない。もちろん、私と同様、犬を連れた常連ともすれ違う。

 わが家の犬は本格的に目が覚めないのか、雪があるのに全く関心がない様子である。そして「わが道を行く」とばかりに、自分の好きな方へとぐいぐいリードを引っ張る。 気温が低かったせいか、道路に少しだけ積もった雪はさらさらだ。3月のべた雪とは全く違う。空気は乾いていて目に入る景色は「透明感」を増している。家々の屋根のテレビアンテナが朝の光に輝いている。

 1月も半ばになった。凍てつくロシアのモスクワに住む若い友人からエアメールが届いた。2度目のモスクワ勤務も2年になったという彼は「記者生活が終わりに近いことを感じています」と書いてきた。

 人には転機を迎える時期がいつかは訪れる。彼もそうした時期なのかもしれないと思いながら、遊歩道を歩いた。 私たちふだん雪が降らない地域に住む者は、雪景色に憧れる。初雪に興奮し、寒くとも外を歩きたくなる。

 だが、北海道やモスクワの人々は違う。一面の銀世界に嘆息し、雪解けの季節を待ち望む。美しき日和・・・などという思いとはほど遠い。雪国の人たちに悪いとは思いつつ、機嫌の悪い犬を急かせながら初雪を踏みしめると、体も少しずつ温まってきた。 画像