小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1529 初雪にしてこんなに積もるとは 冬の歌を聴く

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 まだ11月は1週間あるというのに、初雪が降り、数センチは積もった。わが家周辺は一面銀世界の様相を呈し、折角咲き始めた皇帝ダリアの花はしぼみ雪の重みで枝が折れそうだ。11月に雪が降り、しかも積もるなんて、驚くばかりである。  

 初雪にして一尺となることも 三村純也 

 北海道など、地域によってはこの句のような降り方もあるだろう。しかし、私が住む千葉で初雪がこんなに積もったのを見るのは初めてだ。これも気象変動の影響なのだろうか。 「雪」という歌がある。小学校で習い、覚えている人も多いだろう。作詞、作曲者とも不詳とされる名曲である。   

 1  雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ  降っては降っては ずんずん積る  山も野原も綿帽子かぶり  枯れ木残らず花が咲く   

 2  雪やこんこ 霰やこんこ  降っても降っても まだ降りやまぬ  犬は喜び庭駆けまわり  猫は火燵(こたつ)で丸くなる

 ここに出てくる「こんこ」の意味は、「降れ降れ」や「ここに降れ」「もっと降れ」など、諸説あるという。いずれにしても、雪が降ることを前向きにとらえているとみることができる。私が住む周辺では、昨冬は暖冬で積雪がなかった。それが一転して、今冬はこの有様である。だから「雪やこんこ」とは到底歌えない、というのが今の心境だ。  

 ネットには、この曲は「新世界より」(交響曲9番ホ短調)で知られるドボルザークの「聖書の歌」という歌曲集の「10番」ではないかという指摘もある。「10番」を聴いてみると確かによく似ている。「雪」はドボルザークの曲をアレンジしたものなのかもしれない。  

 アレンジといえば、手元にある「鮫島有美子の四季」というCDの冬の曲の中に収められている「七里ヶ浜の哀歌」(真白き富士の根ともいわれる)は、アメリカの作曲家による讃美歌からアレンジしたものである。「真白き富士の根緑の江の島……」(三角錫子作詞)という歌い出しのよく知られている歌である。  

 この曲は明治43(1910)年1月23日、逗子開成中学の生徒12人が乗ったボートが七里ヶ浜沖で転覆、全員が死亡した事故の鎮魂歌として作られた。三角の詩につけられた曲はアメリカ人作曲家、ジェレマイア・インガルス(1976~1828)の白人霊歌集の中の『Love Divine』をアレンジしたものとみられ、鮫島が歌うCDにもインガルス作曲と書いてある。鮫島の哀調ある歌の最後には、SPレコードのシャリシャリという針音がするハモニカの演奏が入っている。それが、なぜか遠い過去の出来事を思い出させるのである。

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