小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

763 伊達直人現象はどこまで 一過性の日本社会

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日本の年間の寄付総額は、個人と法人を合わせると約1兆円になるという「寄付白書」がつい最近、日本ファンドレイジング協会から発表された。しかし、その多くは宗教関係だという。その矢先に、タイガーマスク伊達直人を名乗る人物から児童養護施設にランドセルを贈る現象が相次ぎ、きょう12日で全国に及んだという。 日本社会が経済的にも厳しい時代に、こうした現象は喜ばしいことだ。 現代の日本は「一過性」社会である。メディアの報道によって、多くの国民の意識が変わる。しかし、熱しやすく冷めやすい国民性は、移り気だ。しばらくすると、その熱気は冷めてしまうのだ。だから、いつまでこの現象が続くのかと思う。 伊達直人と名乗る善意の人たちの児童養護施設へのプレゼントは、当然のように称賛され、連日報道の対象になっている。その報道を見た多くの人が「私もやってみよう」と、匿名の寄付行為に走ったのだろう。それは悪いことではない。世知辛い時代だからこそ、いいニュースとして伝えられるのだろう。 伊達直人現象を見ていて、アメリカの作家、ジーン・ウェブスターの「あしながおじさん」を連想するのは私だけではないだろう。99年前の1912年に発表された作品だ。孤児院で生活する少女に1人の匿名の資産家が毎月手紙を書くことを条件に大学を出るまで奨学金を出すというストーリーだ。 日本でも、成績が優秀なのに家が貧しいために進学の資金を他人に出してもらって大成をした人物は、野口英世はじめ少なくない。野口は彼を支えた人たちに報い、後年千円札の肖像に使われるほど歴史的「偉人」となる。 北海道の夕張に行ってきた。このところ、積雪が激しく訪ねた古い保育所は雪に埋まっていた。道の両側には除雪された雪の山がうずたかく積まれていた。その山は2、3メートルある。 財政が破たんした夕張は以前にも増して寂しかった。だが、保育所に入ると、子どもたちの歓声が聞こえた。この子どもたちにも「善意」という支えある。豪雪に埋まった保育所の中を素足で駆け回る小さな姿を見て、将来、夕張だけでなく北海道、そしてこの日本の支える存在になってほしいと思った。
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