小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

705 これぞ飽食窮民! 新幹線の迷惑男女の話

 こういうのを飽食窮民というのだろうか。新幹線を遅らせた男女の話である。飽食は「食べ物はあふれている」、窮民は「生活に困っている」という意味だ。この2つの言葉を基にした「飽食窮民」という造語がある。元共同通信社の名物記者だった故斉藤茂男が考え出した言葉で「食べるものは何でもあるが、生きる目標がないままに日々を送る人たち」のことを指した言葉だ。それがバブル経済当時、流行語にもなった。

  なぜ「飽食窮民」ということを書くかといえば、15日の新幹線であまりにもひどいできごとがあったからだ。それはこんな話だ。

 15日午後2時過ぎのこと。JR山陽新幹線博多駅に停車中だった博多発新大阪行きのこだま車内で、乗客の男女がけんかを始めた。すごいののしりあいで、駅員からの110番で鉄道警察隊が出動して、降りるよう説得したが、2人は降りようとしない。

  鉄道警察隊員3人が監視して新幹線はそのまま発車し、2人は新下関で降りた。2人は中国地方に住み男が60代、女が40代というが、内縁関係にあり、駅弁を買うかどうかでけんかになったのだという。この騒ぎでこだまの発車が15分遅れ、これを含め新幹線の上下3本もが遅れ、1300人が影響を受けたというから、このけんかがこれだけの迷惑をかけてしまった。

  女性の方は40代というから「不惑」であり、男性は60代の「耳順」である。しかし、2人には毛頭そんな意識はなかったのだろう。だから衆人環視の中で、つまらない争いをしてしまったようだ。

  こんなことを書きながら、自分を振り返り他人に迷惑をかけていないかどうか考えこむ。電車の中の客の顔もとげとげしく、社会がギスギスしていると感じる。新幹線男女の騒ぎは他愛もないといえるが、いい年をした大人がこんなていたらくなのだ。斉藤が憂えた飽食窮民現象はさらに進行しているのかもしれない。

  実はこのブログを書き終えて、自分が虚しくなった。 それは砂をかむような気持ちだった。だが、現代の風景としてアップすることにした。