小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

678 車のない琵琶湖の有人島 沖島にて

画像 琵琶湖の中に、沖島という有人島がある。島には約450人の人が住んでいるが、車が一台も走っていない。最近この島を訪れて、日本にもこのような島があることを初めて知った。車のない生活を考える人には、おすすめの島なのである。

 沖島は、滋賀県近江八幡市にある。JRの近江八幡駅からタクシーに乗ると、約20分。島に渡るための堀切港がある。2時間に1本程度しか島に渡る船はない。汗をかきながら、船を待っていると、小さな船が桟橋に入ってきた。

 それが堀切と沖島を結ぶ定期船「沖島通船」だった。19トンで、定員は50人だという。料金は500円だ。 堀切から乗車時間は10分足らずで、船旅を楽しむ時間はない。島民のほとんどが琵琶湖で漁業を営む島は約1・52平方キロと小さく、あっという間に1周することができる。車の必要性は全くないのは当然だ。

 島から近江八幡市内に行く沖島通船は、島の自治会が頑張って運営している。離島航路は、どこも赤字である。だが、廃止にしてしまえば島で暮らすことはほぼ不可能になる。「採算」という市場原理によって、地方はあらゆる面でしわ寄せを受ける。そんなしわ寄せを政治はカバーできないまま、地方の過疎化現象は進んでいく。

 そんな現実の中で、沖島の人たちは自分たちで船を動かし自分たちの生活を守っている。 これまでいくつかの島に行った。思いつくままに取り上げると、北海道・礼文島宮城県・大島、東京・大島、広島県因島愛媛県大三島伯方島・中島、沖縄・阿嘉島―などだ。それぞれが、特徴のある島だ。

 宮城県の大島(気仙沼市)では、漁師をしながら短歌を作り続けた歌人と出会った。島で暮らす喜びや悲しみを抒情あふれる短歌にする、褐色に日焼けした歌人だ。 沖島でも、柔和な表情をした漁民に出会った。その顔は以前どこかで会った人のように、妙に懐かしい印象を受けた。相手を包み込むような笑顔は長年、琵琶湖の自然と向き合ってきて培ったものなのだろうか。話をしながら、ああと気がついた。大島の漁民歌人と共通する雰囲気だったのだ。画像

 私の好きな歌に「琵琶湖周航の歌」(吉田千秋作曲、小口太郎作詞)がある。短い時間だが、沖島通船に乗りながら、この歌を口ずさんだ。「われは湖(うみ)の子さすらいの 旅にしあればしみじみと 昇る狭霧やさざなみの 志賀の都よいざさらば」。 吉田と小口は生前、全く面識がなかったという。

 だが、不思議な運命によって、吉田が作曲した「ひつじぐさ」という曲が、小口の詞のメロディーとして採用され「琵琶湖周航の歌」が誕生する。後年、この曲がここまで浸透するとは、2人には思いもよらなかったことだろう。この経緯については、機会をみて触れたい。

685 夭折した2人の心 琵琶湖周航の歌 773 琵琶湖一周の旅の途中に 雪に埋まったカタカナの町へ 776 琵琶湖一周の旅の途中に(続)  1081 小さな劇にすぎなくとも 琵琶湖近くの「故郷の廃家」の物語